山口県光市の母子殺害事件=犯罪を自分たちの「宗教」プロパガンダに利用する「人権派弁護士」

 山口県光市の母子殺害事件の控訴審で、弁護団は死姦を、
 「死者を復活させるための儀式」
 長女を殺したのを、
 「長女は泣きやまないので首にひもをまいてリボンの代わりに蝶々結びにしたら死んでしまった」
 などと、いう主張を行っております。

 今回の裁判は死刑廃止論が持論の「人権派」の弁護士達のプロパガンダに使われているように思います。ハッキリ言って弁護団には被告のことなってどうでもいいのじゃないでしょうか。ただ如何に死刑を引きすだけかを目的としているように思えます。

 裁判を経験した人なら分かるのですが、弁護士には裁判を引き延ばそう争点に関係ないものをクドクドと述べる手合いが結構います。これによって裁判を長引かせ、裁判官を混乱させるための作戦です。
 これが恒常化しておるので、弁護士はどんなトンデモな理屈をこねくり回すことに何ら疑問を感じないのでしょう。
 
 弁護士は依頼人のためにベストを尽くすのが職業倫理なのでしょうが、このような被害者とその家族を侮辱するのは職業倫理、それ以前に人の倫理には触れないのでしょうか。

 ぼくは死刑廃止論というのは護憲運動とおなじで一種の宗教だと思っています。

 死刑廃止論というのは元来キリスト教的な価値観から進められてきたと言う経緯があります。 それを先進国では死刑を廃止がトレンドである、死刑廃止をしないのは文化的に遅れているなどと主張する人がいますが、そういうひとは耶蘇教にマインドコントロールされているんですよ。本人は気がつかないだけで。少なくともあたしゃ、そう思っています。あたしゃ耶蘇のl信者じゃないし。

 死刑廃止論も人それぞれの主張ですから頭からは否定しませんが、廃止論を唱える人達は少しは被害者とその関係者の心痛を想像して発言すべきだと思います。

 ですが、彼ら廃止論者は初めに死刑廃止があり、自分たちが正義と信じて疑わないわけです。反対する奴らは悪魔である。そういう理屈です。目的を達成するためには手段を選ばない。これは原理主義者です。

 死刑廃止よりもむしろ、代用監獄や自白過度に重視するなど、冤罪を生みやすい制度を替えていく方が「人権派」弁護士のつとめではないかと思います。
 
 あたしゃ、無実の人間が死刑になるのは忍びないが、悪人が吊されようと別に何の痛みも感じません。
 
 人命は等しく尊い、と言われても自分や家族の命がこの被告のような人でなしと同価値であると言われて、はいそう思いますという人は少数派ではないでしょうか。

 http://www.j-cast.com/2007/05/25007937.html

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