京都大学の軍事研究の否定は「平和的」か単なる情緒か?
京大、軍事研究しません。研究活動は「平和への貢献を目的とする」
https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/28/kyodai_a_23398132/
>本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするものであり、それらを脅かすことに繋がる軍事研究は、これを行わないこととします。
物を考えないで、情緒だけの人たちって気楽だよね、というのがぼくの素直な感想です。
軍事研究の否定=平和というのは小学生レベルの思考です。
大学の教育者としては完全に思考停止しています。
例えば我が国で全く軍事技術を保持しないとしましょう。
その場合、まず考えられるのは外国の軍事技術の格差です。
端的に申せば、敵国がターミネーターのようなロボットで攻めてきて、自衛隊は生身の隊員が圧倒的な不利な状況で戦う、また民間人が虐殺されるようなケースも想像されます。これをよしとするのか。
そして戦争に負けて占領されれば、主権を失います。お大事の「平和憲法」も停止される恐れがあります。
例えば中国に占領されれば、中国と同じように人権が制限されることになるでしょう。
それをよしとするのか。
また自前の技術を持たないことのよって、米国に生命与奪権を握られて属国化します(現状でもそれに近い状態ではありますが)。米国の属国化が進めば、米国によって米国の戦争に「属国」として参加させられることになります。
それをよしとするのか。
無論、現在の世界では兵器市場で多くの兵器が入手可能であり、大抵の兵器はカネさえ積めば調達が可能です。
我が国のように米国製本命を買うのだ、と決めていればボラれますが、複数を競わせれば、高性能なものを安価に調達することも可能です。
ですが、それらの兵器を調達するためには、技術的な目利きが必要であり、それがなければ現実的な調達はできません。その点では実は我が国の研究開発はあまり役にたっているとは言えません。
またそれが可能なのは潤沢な外貨が必要です。国家が十分な外貨を保有していなければ難しくなります。
さて京大のセンセイ方は、我が国は兵器を輸入すればいいのだ、という見解なのか、それとも軍備自体がけしからん、というのでしょうか。
そうであれば我が国政府が外国の「死の商人」を儲けさせてやることを是とするのでしょうか。
そうであれば自衛権を否定し、国家の独立を維持することも否定することになりかねませ。
それは「平和憲法」を放棄してもいいとこことになります。
軍事研究を否定するのであれば、そのあたりのスタンスを明らかにすべきです。
単に嫌いだから嫌だ、ではお子さまです。
また、国家が存続しなくていいのだ、軍事の研究などしないとういうのは私学ならばありだと思います。たとえ多額の補助金を得ているとは言え、民間の法人です。ですが国の機関である京大が果たしてそれでいいのでしょうか。国家の独立や主権なんぞくそ食らえ、というのであれば独法を止めて私学になるべきです。
そのお覚悟はおありでしょうか。
更に申せば、学問の自由には軍事研究をする自由も含んでいるかと思いますが、京大はその自由を圧殺していいと考えているのでしょうか。
>京都大は28日、学内で軍事研究は実施しないとする基本方針を策定した。「社会の安寧と人類の幸福、平和を脅かすことにつながる」と理由を説明している。個別の事案が適切かどうかは、学長が常設する委員会で審議する。
http://mainichi.jp/articles/20180329/ddp/012/100/017000c
とはいうものの、学長や主流派に逆らって、軍事研究をしようという学者がどれだけいるでしょうか。安倍政権を忖度する官僚とおなじような態度を皆さんとるんじゃないでしょうか。
更に申せば、大学の成果というのは研究だけではなく、卒業生も含まれるわけです。京大から防衛省や自衛隊に進んでいる人も少なくないと思います。少なくとも局長クラスまではいるわけです。防衛産業も同じです。
軍事研究を否定するのであれば、卒業生の就職も制限すべきではないでしょうか。あるいは入学に際して、防衛関連の就職しないという、念書でも取ってはどうでしょう。もし防衛関連に就職するならば学位は取り上げる、とですればいいでしょう。無論これは憲法に抵触する恐れ大ですが、成果物を軍事利用させない、という主義であるならばそこまでやるべきです。
更に申せば、理学や工学以外でも軍事に転用できない学問は殆どありません。心理学、文学、医学、歴史、社会学あらゆる学問は軍事に応用や利用が可能です。であれば、学問を軍事利用させないというのであれば、学問自体をやめないといけないでしょう。
更にはどんな科学技術の研究が軍事に転用されるか分かりません。
アインシュタインだって相対性理論が核兵器を作るために、利用されるとは思ってもいなかったでしょう。
例えば、小銃を多少改良する程度の技術と、核兵器開発に役立つ相対性理論のような研究はどちらが人類にとって影響が大きいでしょうか。
多くの発明、発見は当事者が予想もされない形で軍事利用されることが多々あります。そのような軍事利用をどうやって防ぐのでしょうか。
これらの疑問に果たして京大が答えられるか大変疑問です。
軍事研究を否定=平和主義というのであれば、お子さまレベルの正義感しかないと思います。
ざっくりいわせてもらえば、そこいらの一山いくらの平和運動屋さんたちの同じレベルです
旧帝大のお偉いいセンセイ方の所業ではありません。
別に軍事研究を否定すること自体を否定するつもりはありません。ただそれにリーズナブルな哲学と、明確な指針、そして断固たる覚悟があればですが、残念ながら京大にはそれがないように見受けられます。
■本日の市ヶ谷の噂■
飛行停止中のOH-1が全機飛行可能になるのは、エンジンの改善が終了後、9年は掛かる、それはMHIとKHIの能力の問題、装備庁が見積もっているとの噂。
ドイツの英語の防衛専門誌
「European Security & Defence」に
陸自新型8輪装甲車に関する記事を寄稿しました。
http://www.euro-sd.com/home/
https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/28/kyodai_a_23398132/
>本学における研究活動は、社会の安寧と人類の幸福、平和へ貢献することを目的とするものであり、それらを脅かすことに繋がる軍事研究は、これを行わないこととします。
物を考えないで、情緒だけの人たちって気楽だよね、というのがぼくの素直な感想です。
軍事研究の否定=平和というのは小学生レベルの思考です。
大学の教育者としては完全に思考停止しています。
例えば我が国で全く軍事技術を保持しないとしましょう。
その場合、まず考えられるのは外国の軍事技術の格差です。
端的に申せば、敵国がターミネーターのようなロボットで攻めてきて、自衛隊は生身の隊員が圧倒的な不利な状況で戦う、また民間人が虐殺されるようなケースも想像されます。これをよしとするのか。
そして戦争に負けて占領されれば、主権を失います。お大事の「平和憲法」も停止される恐れがあります。
例えば中国に占領されれば、中国と同じように人権が制限されることになるでしょう。
それをよしとするのか。
また自前の技術を持たないことのよって、米国に生命与奪権を握られて属国化します(現状でもそれに近い状態ではありますが)。米国の属国化が進めば、米国によって米国の戦争に「属国」として参加させられることになります。
それをよしとするのか。
無論、現在の世界では兵器市場で多くの兵器が入手可能であり、大抵の兵器はカネさえ積めば調達が可能です。
我が国のように米国製本命を買うのだ、と決めていればボラれますが、複数を競わせれば、高性能なものを安価に調達することも可能です。
ですが、それらの兵器を調達するためには、技術的な目利きが必要であり、それがなければ現実的な調達はできません。その点では実は我が国の研究開発はあまり役にたっているとは言えません。
またそれが可能なのは潤沢な外貨が必要です。国家が十分な外貨を保有していなければ難しくなります。
さて京大のセンセイ方は、我が国は兵器を輸入すればいいのだ、という見解なのか、それとも軍備自体がけしからん、というのでしょうか。
そうであれば我が国政府が外国の「死の商人」を儲けさせてやることを是とするのでしょうか。
そうであれば自衛権を否定し、国家の独立を維持することも否定することになりかねませ。
それは「平和憲法」を放棄してもいいとこことになります。
軍事研究を否定するのであれば、そのあたりのスタンスを明らかにすべきです。
単に嫌いだから嫌だ、ではお子さまです。
また、国家が存続しなくていいのだ、軍事の研究などしないとういうのは私学ならばありだと思います。たとえ多額の補助金を得ているとは言え、民間の法人です。ですが国の機関である京大が果たしてそれでいいのでしょうか。国家の独立や主権なんぞくそ食らえ、というのであれば独法を止めて私学になるべきです。
そのお覚悟はおありでしょうか。
更に申せば、学問の自由には軍事研究をする自由も含んでいるかと思いますが、京大はその自由を圧殺していいと考えているのでしょうか。
>京都大は28日、学内で軍事研究は実施しないとする基本方針を策定した。「社会の安寧と人類の幸福、平和を脅かすことにつながる」と理由を説明している。個別の事案が適切かどうかは、学長が常設する委員会で審議する。
http://mainichi.jp/articles/20180329/ddp/012/100/017000c
とはいうものの、学長や主流派に逆らって、軍事研究をしようという学者がどれだけいるでしょうか。安倍政権を忖度する官僚とおなじような態度を皆さんとるんじゃないでしょうか。
更に申せば、大学の成果というのは研究だけではなく、卒業生も含まれるわけです。京大から防衛省や自衛隊に進んでいる人も少なくないと思います。少なくとも局長クラスまではいるわけです。防衛産業も同じです。
軍事研究を否定するのであれば、卒業生の就職も制限すべきではないでしょうか。あるいは入学に際して、防衛関連の就職しないという、念書でも取ってはどうでしょう。もし防衛関連に就職するならば学位は取り上げる、とですればいいでしょう。無論これは憲法に抵触する恐れ大ですが、成果物を軍事利用させない、という主義であるならばそこまでやるべきです。
更に申せば、理学や工学以外でも軍事に転用できない学問は殆どありません。心理学、文学、医学、歴史、社会学あらゆる学問は軍事に応用や利用が可能です。であれば、学問を軍事利用させないというのであれば、学問自体をやめないといけないでしょう。
更にはどんな科学技術の研究が軍事に転用されるか分かりません。
アインシュタインだって相対性理論が核兵器を作るために、利用されるとは思ってもいなかったでしょう。
例えば、小銃を多少改良する程度の技術と、核兵器開発に役立つ相対性理論のような研究はどちらが人類にとって影響が大きいでしょうか。
多くの発明、発見は当事者が予想もされない形で軍事利用されることが多々あります。そのような軍事利用をどうやって防ぐのでしょうか。
これらの疑問に果たして京大が答えられるか大変疑問です。
軍事研究を否定=平和主義というのであれば、お子さまレベルの正義感しかないと思います。
ざっくりいわせてもらえば、そこいらの一山いくらの平和運動屋さんたちの同じレベルです
旧帝大のお偉いいセンセイ方の所業ではありません。
別に軍事研究を否定すること自体を否定するつもりはありません。ただそれにリーズナブルな哲学と、明確な指針、そして断固たる覚悟があればですが、残念ながら京大にはそれがないように見受けられます。
■本日の市ヶ谷の噂■
飛行停止中のOH-1が全機飛行可能になるのは、エンジンの改善が終了後、9年は掛かる、それはMHIとKHIの能力の問題、装備庁が見積もっているとの噂。
ドイツの英語の防衛専門誌
「European Security & Defence」に
陸自新型8輪装甲車に関する記事を寄稿しました。
http://www.euro-sd.com/home/
この記事へのコメント
「日本が先の大戦で滅びかけたのは、血と死と人の恨みに"穢れた"軍事なんかに手を出したからである。であるから今後の日本はそういった"穢れ"とは無縁の"清らかな"存在であらねばならない。」という神道的というか貴族・公家的な発想ではないかと思われます。尤も「天皇は日本で最も清らかな存在であらねばならない。病気の牛の膿である種痘なんかできるか。」で種痘を受けなかった明治天皇の父孝明天皇は天然痘で死亡しましたが(討幕側に好都合、幕府側に不都合なタイミングで)。
余談ですが今川義元は家督争いで死に追いやった兄の亡霊に悩まされていたそうです。桓武天皇は弟の亡霊に悩まされましたが、頼朝は弟義経の、家康は豊臣の怨霊を気にしたとは聞きません。今川義元は戦国時代の大名の中では「貴族的」だったのかも知れません。
「ンの改善が終了後、9年は掛かる、それはMHIとKHIの能力の問題、装備庁が見積もっているとの噂。」
9年ですか???もう用途廃止で良いのでは...ここまで酷いとは思いませんでした。多分順調に改修したエンジンの性能評価や信頼性評価が終わるのは1年後位でしょうか?ぶっちゃけ見込みでエンジン交換しても全機交換で2,3年位かと勘定してましたがそんなもんじゃ無いですね。飛行停止から11年も掛かるなら機体の他の部分の劣化もあるだろうしパイロットの養成もやり直し、あまりに不経済で意味ないならOH-6の後継に民間機ベースの機体でも購入した方が良さそうです。陸自の知り合いもOH-1の高性能ぶりよりOH-6より人が載せられない事の不自由さを嘆いていましたから。
「さて京大のセンセイ方は、我が国は兵器を輸入すればいいのだ、という見解なのか、それとも軍備自体がけしからん、というのでしょうか。」
後者だと思います。海外の軍人が京大他日本の大学に留学しているケースがあります。無論軍籍はそのままに一般留学生として。目的は知りませんがそいった軍人は実際にいるようです。勿論大学側はその留学生の出自を知っている訳です。当然先生たちもしっています。で、その留学生が軍人と言う理由で色々冷たい目にあっているそうです。防大の様に毎日軍服を着て出席している訳ではなく一学生としてですが嫌われているようです。軍事目的に留学したならまだしも一般学生として留学しているわけでそこまでしなくてもと思うのですが。まあ自分達の教えていることが軍で活用されているのを嫌がるのでしょう。そんな目的で教えているのではないと。それは別に京大に限ったことでは無いようですが、要するにそういう事です。その事自体はやりすぎだと思いますが京大が軍事には手を課さないのも容認します。逆に積極的に軍事に携わる大学があっても良いと思います。ぶっちゃけて言うとだいがくの方針で是か非かは決めれば良いことです。つづく。
「アインシュタインだって相対性理論が核兵器を作るために、利用されるとは思ってもいなかったでしょう。」確かにそうですが後年アインシュタインはマンハッタン計画への推進の助言を悔いています。
一例ですがトヨタのハイラックスなどトヨタ車はその耐久性故にゲリラや非正規軍に利用されています。トヨタ自体は想定外?の軍事利用にどうおもっているでしょうか?このように民間社であっても軍事利用は出来るわけです。清谷さんのおっしゃりたい事は重々わかりますが本人の望まない使い方に心を痛めるのはどうなんでしょう?仮に大学で高出力レーザーの研究をするとしましょう。本来の目的は金属の切断や加工のつもりがいつのまにか空に放たれ飛行機やミサイルの迎撃に使わええたとしましょう。その大学が工業の発達が目的でつでに軍事にも利用されても何も言わないかも知れないし激しく激怒するかもしれません。大学のスタンス一つで同じものでも見方は変わります。ダイナマイトもそうですが強力な力は民間にも軍事にも有用です。それをどう使うかは使用者にまかされている側面までは否定できません。京大も怒りはすれそれ以上の事はできないでしょう。2面性のある物に1面性だけ求めるのは難しいのです。なので積極的に軍事利用させたくないのが京大等でどっちでもよい、積極的に軍事利用して構わない他の大学があっても良いのです。つづく。
で、一応防大にも触れますが、防衛大学校は所謂大学ではありません(卒業したら大卒同様の学士は貰えます。)。学園祭にも行きましたが、研究内容は人文的な検知からは色々な国の情勢や戦史などの研究はしている様ですが、技術的な内容については普通の大学の工学部よりは劣る内容です(Fラン大学は知りませんが)。元々アカデミックな組織ではなく士官学校なので仕方ない面もありますが、装備の研究や材料の研究などは殆どしていないのでは?今あるものを教えているだけの印象を持ちました。授業を受けたわけでは無いので間違っているかもしれませんが学園祭を見る限りそんな感じでした。防衛装備庁も大概ですが防大も真面目に軍事の研究をしているのか微妙です。真面目に兵器や装備の研究をする学校があっても良いとは思うのですが、恐らく無いですよね?(土浦の武器学校は兵装を教える学校で兵器研究所では無いですし)むしろ開き直って防衛研究所でも防衛省管轄で作るほうが良いと思いますが。
個人や企業間の紛争を武力で解決するのが非合法であるのに、より被害が甚大となり得る国家間の紛争を武力で解決することが合法であるのが理解できない。
また、京都大学は国の機関であるから研究に加担すべきだという意見もありましたが、憲法で明記されている通り大学には自治権があり、国からも高度に独立性があるため、単に「国の機関」と位置づけて良いのか疑問が残ります。
そして最後に、京都大学が軍事目的の研究を大学全体として拒否することは研究者の学問の自由を奪うのではないかという意見ですが、これに関しては部分社会論の観点から、これは単なる大学自治の問題として考えられ、問題性はないと思われます。
クラウゼッツの戦争論を引用すると、戦争は政治的手段にしかすぎません。北朝鮮の核・弾道ミサイル実験が証明しています。アメリカに交渉のテーブルをつかせるために。北の首領様は政治目的を果たしたわけです。 沈黙の艦隊、空母いぶき、宣戦布告においても必ず政治が関わります。京大の先生方はその程度のこと理解できるはずなんだけどなぁ?最高学府のインテリですよ、腐っても。
兵器が戦争するわけではありません。戦争のきっかけ、開戦を決断するのは政治家です。戦争を予防するには軍事を知らなければならない。まさか 念仏や祈祷で安全保障が成立できると思っているんですか。学者でなく、カルト宗教の信者だよ!ちなみに私は高校しか出ていない 元兵隊バカですが。
大学の自治を尊重した結果が60~70年代の学園闘争ではなかったでしょうか。学校側は被害者ズラしていましたが、単に当事者能力がなかっただけだと思います。極左暴力集団に占拠を許し、極めて偏った教授が公務員の地位に安住しつつそれをあおることを、ぼくは自治あるいは学問の自由とは認めません。
ブログで述べているように、国が滅んでも、国民が奴隷にされても軍事力は行使しないというのであれば、それを明文化すべきでしょう。
ただ、それを国立大の特権を享受していうことに恥じないのであれば人間性を疑われて然るべきだと思いますよ。
既に述べていますが、その覚悟と思想体系を京大が持っているようには見えません。恐らく教授たちは職を失っても主張を貫く覚悟もないでしょう。
現実を見ないで世間体のいい、口当たりのいい言葉を弄んでいるだけだと思います。
こう言っては何ですが、学校から出たことのない世間ん知らずで、学内政治ばかりにかまけている人たちは、すこし社会経験をなさった方がよろしいかと思います。
例の京大の偏った思想の先生達は、自衛隊の教条主義の上級幹部 特に市ヶ谷の軍事官僚と本質的に変わらないし、同じ穴のムジナに思えるのですが。的はずれかもしれません。
狭い閉鎖社会で自分達の論理が常識だと思い込んでいる体質に共通点があります。カルトなんでしょう。人材の流動性・交流がない。他の業界との接点がない。社会から正しい評価されない。だから極左暴力団に占拠される。私も柵の中で生きていた 世間知らずの兵隊バカだったので人様のことは言えませんが。
私は学者・研究者 ・技術者が集まる都市で生活していますが 仕事・プライベートで上記の職業の方々とお付き合いしていますが偏向的な性格な方に逢ったことはありません。学者・研究者でも社会性があり柔軟な方はおります。
京大はじめ大学が兵器開発に協力を拒むのは第二次大戦で軍に協力した結果の悲惨な結果がトラウマになったからと聞いています。確かに元を辿ればそこまでいくでしょうね。それと
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180403-00000068-mai-sctch
「<学術会議声明調査>軍事研究3割が未対応
一方、同制度への応募を「これまでに認めたことがある」と答えたのは22%、「防衛省との研究協力を過去10年にした経験がある」と答えたのも19%となり、一定の大学や研究機関が研究面で防衛省と関わりを持っている現状が判明した。」ざっくり2割程度は協力している模様。決めかねているのが3割、半分は反対という事でしょうか。
具体的な内容は何か分かりませんが協力する学校はあるようです。京大他反対派をそれとなく協力させる一番の方法は研究費をバンバン出すことです。どんなにつまらない研究でも軍事に無関係と思われる研究でもです。アメリカ式と言って良いのか分かりませんが金を一杯出して一杯成果を出してもらってその中から軍事転用できる技術を政府が頂く。そこまで露骨でなくてもM菱他企業が成果を放っておかないでしょう。学生も入社するだろうし。その分軍事以外の科学技術も発展するでしょう。ただお金が凄く掛かるでしょうが正直言ってアメリカの大学と比べると研究予算が大幅に少ない(米は軍が大学に金ばら撒いてますからね)から多少の大盤振る舞いは後日の果実への肥やしと言うことで良いのではないでしょうか。効率だけを追求するなら軍事研究所やら兵器研究所やらを立ち上げ共同研究とかにした方が良いと思いますが。
安倍首相ならできなくないでしょ
> 更に申せば、学問の自由には軍事研究をする自由も含んでいるかと
> 思いますが、京大はその自由を圧殺していいと考えているのでしょうか。
こちら(米国)では理系の学部が軍からの予算で研究して、文系の教授が反戦デモでスピーチしてるというのは日常的にあります。
幼稚に「あそこの大学は軍事研究をゆるして、一方で平和を訴えてる」とか言われそうですが、「各研究者が自由に研究できるプラットフォームを提供する」という大学の根幹部分の一貫性が保てますし。
とはいえ、国としては放置するのが一番でしょうね。 「そうですか、ではこの研究は他にお願いしますね」と。