山口小夜子の時代
本題の前に、大石英司氏がぼくと陸幕との衛生キットをめぐるやりとりについて述べております。
http://eiji.txt-nifty.com/diary/
本日は東京都現代美術館で行なわれている、「山口小夜子 未来を着る人 - 展覧会」に行ってきました。
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/sayokoyamaguchi.html
山口小夜子さんは既に故人となっておりますが、70年代デビューしてアジア人で初の世界のトップモデルとなり、浮き沈みの激しいあの世界で15年以上もトップモデルとして活躍、80年代からはパーマーその他、デザイナーなどとしても活躍されました。
彼女が登場した72年当時、日本のファッション業界ではハーフあるいは、ハーフ風のモデルが全盛で、黒髪のおかっぱ、切れ長の目という彼女の登場は衝撃的だったようです。
当時はファッションにしても音楽にしても欧米の後追いばかりでした。音楽にしても母音の多い日本語でロックが可能か否かというような議論がなされていた時代です。
これは撮影OKな展示です。
彼女のパリコレ・デビューはちょうど山本寛斎、高田ケンゾー、三宅一生らが登場してきた時代で、これら日本人デザイナーとモデルとしても存在感を示しました。デザインも、モデルも欧米の後追いではない、欧米に対するコンプレックスを日本人が払拭し始めたのがこの時代で、山口小夜子さんはそのアイコン的な存在だったといえるかもしれません。
単に日本人形のようなオカッパ、切れ長の目だけが注目されたのではなく、圧倒的な存在感、日本的だけど、日本的ではないというか、国籍を超越した圧倒的な魅力があったのではないでしょうか。仮に誰か別の日本人モデルがおかっぱ、切れ長の目で現れても彼女のような賞賛は受けなかっただろうし、その地位を奪うこともできなかったでしょう。
当時、彼女のマネキンまで作られました。ぼくは大学を出た年に、ロンドンの学校に短期間学んだあと、欧州を回って帰ったのですが、フランスではサン・トロペに行きました。そこのケンゾーのブティックで彼女のマネキンを見たことは、いまだに良く覚えております。
先日紹介した故大内順子さんもそうですが、これら先人たちのお陰でぼくらの世代は欧米に対する劣等感なしで海外で仕事ができているような気がします(今だにそうでない人も少なくないですが)。また、言われない差別を受けることは未だにありますが、60年代、70年代と比べれば荒野の獣道と舗装道路くらいの違いがあるでしょう。
ぼくが彼女の存在を知ったのは大学時代で、当時「流行通信」のグラビアが大変印象的でした。今回の展覧会でもその写真が使用されておりました。
20代に一回だけ、原宿のカフェで山口小夜子さんをお見かけしたことがあります。曰く言いがたい、不思議なオーラを纏った人でした。ですがプライベートではパンク・ロックを聞いたり、結構ミーハーでおしゃべりなところもあったそうです。
プロとしての意識が非常に高く、大学時代に読んだ彼女の著書では、年齢は手に出るので、手のケアには気を使い、手袋をして寝ていたそうです。一流、しかもあの業界で長年にわたって活躍した影には、人しれない努力を重ねておられたのでしょう。
漫画家の吉田秋生氏の「吉祥天女」という作品の主人公は小夜子というのですが、これは山口小夜子さんから影響を受けたように思えます。
展覧会の会場では広告屋時代に一緒にお仕事させていただいた、ファッション・フォトグラファーの大石一男氏の撮影した写真もあり、昔の仕事を少し思い出しました。当時何でも屋だったので、ファッション関連も仕事も結構やらせて頂きました。
一見すると華やかなファッション業界(付随して広告業界も)ですが、例えばポスターひとつ作るにしても多くのプロフェッショナルの叡智と努力と、汗の結晶です。会場ではポスターに仕様された、フィルムのべた焼きや衣装、撮影現場の模様、色校正のゲラなども展示されておりました。
当時の色々な体験は直接今の仕事とは関係ないのですが、間接的に大変役に立っております。つくづく人生で無駄な経験は無いものだと思いました。
やたら国粋的な主張がはびこっている今日此の頃ですが、その手主張をなさっているのはたいてい実社会で評価されない人たちで、自分が日本人である以外誇ることろが無い人たちのように思います。
ご自分は日本人として何を成したのでしょうか。ネットで悪口を書き散らしているだけではないでしょうか。
そのようなその浅い愛国主義・選民主義は、国際社会で日本人の地位を向上させた先人たちの功績の上あぐらをかいているだけではなく、そのような先人の努力を汚すことのように思えます。
展示を見ながらそんなことも思いました。
「山口小夜子 未来を着る人 - 展覧会」は6月28日までやっております。思ったよりも遥かに大掛かりで、多方面に於ける展示があり、ファッションに興味がない人でも楽しめるかと思います。
東洋経済オンラインに以下の記事を寄稿しました。
投資8000億円!新戦車は陸自弱体化への道
粛々と進む10式戦車調達の問題点<上>
http://toyokeizai.net/articles/-/66868
10式戦車は、欠点・弱点があまりにも多い
粛々と進む10式戦車調達の問題点<下>
http://toyokeizai.net/articles/-/66905
文民統制の放棄!なぜ「空母」が生まれたか
護衛艦「いずも」は、護衛能力のない被護衛艦
http://toyokeizai.net/articles/-/64841
自衛官の「命の値段」は、米軍用犬以下なのか
実戦の備えがないため派兵どころではない
http://toyokeizai.net/articles/-/63496
strong>Japan in Depthに以下の記事を寄稿しました
【お粗末な自衛隊の「衛生」装備】~チュニジアでテロにあった女性医官は「特別」なのか?~
http://japan-indepth.jp/?p=17323
【陸自ファーストエイド・キットが貧弱な件 1】~陸幕広報は取材拒否~
http://japan-indepth.jp/?p=17056
【陸自ファーストエイド・キットが貧弱な件 2】~中谷防衛大臣の答弁に違和感~
http://japan-indepth.jp/?p=17059
http://eiji.txt-nifty.com/diary/
本日は東京都現代美術館で行なわれている、「山口小夜子 未来を着る人 - 展覧会」に行ってきました。
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/sayokoyamaguchi.html
山口小夜子さんは既に故人となっておりますが、70年代デビューしてアジア人で初の世界のトップモデルとなり、浮き沈みの激しいあの世界で15年以上もトップモデルとして活躍、80年代からはパーマーその他、デザイナーなどとしても活躍されました。
彼女が登場した72年当時、日本のファッション業界ではハーフあるいは、ハーフ風のモデルが全盛で、黒髪のおかっぱ、切れ長の目という彼女の登場は衝撃的だったようです。
当時はファッションにしても音楽にしても欧米の後追いばかりでした。音楽にしても母音の多い日本語でロックが可能か否かというような議論がなされていた時代です。
これは撮影OKな展示です。
彼女のパリコレ・デビューはちょうど山本寛斎、高田ケンゾー、三宅一生らが登場してきた時代で、これら日本人デザイナーとモデルとしても存在感を示しました。デザインも、モデルも欧米の後追いではない、欧米に対するコンプレックスを日本人が払拭し始めたのがこの時代で、山口小夜子さんはそのアイコン的な存在だったといえるかもしれません。
単に日本人形のようなオカッパ、切れ長の目だけが注目されたのではなく、圧倒的な存在感、日本的だけど、日本的ではないというか、国籍を超越した圧倒的な魅力があったのではないでしょうか。仮に誰か別の日本人モデルがおかっぱ、切れ長の目で現れても彼女のような賞賛は受けなかっただろうし、その地位を奪うこともできなかったでしょう。
当時、彼女のマネキンまで作られました。ぼくは大学を出た年に、ロンドンの学校に短期間学んだあと、欧州を回って帰ったのですが、フランスではサン・トロペに行きました。そこのケンゾーのブティックで彼女のマネキンを見たことは、いまだに良く覚えております。
先日紹介した故大内順子さんもそうですが、これら先人たちのお陰でぼくらの世代は欧米に対する劣等感なしで海外で仕事ができているような気がします(今だにそうでない人も少なくないですが)。また、言われない差別を受けることは未だにありますが、60年代、70年代と比べれば荒野の獣道と舗装道路くらいの違いがあるでしょう。
ぼくが彼女の存在を知ったのは大学時代で、当時「流行通信」のグラビアが大変印象的でした。今回の展覧会でもその写真が使用されておりました。
20代に一回だけ、原宿のカフェで山口小夜子さんをお見かけしたことがあります。曰く言いがたい、不思議なオーラを纏った人でした。ですがプライベートではパンク・ロックを聞いたり、結構ミーハーでおしゃべりなところもあったそうです。
プロとしての意識が非常に高く、大学時代に読んだ彼女の著書では、年齢は手に出るので、手のケアには気を使い、手袋をして寝ていたそうです。一流、しかもあの業界で長年にわたって活躍した影には、人しれない努力を重ねておられたのでしょう。
漫画家の吉田秋生氏の「吉祥天女」という作品の主人公は小夜子というのですが、これは山口小夜子さんから影響を受けたように思えます。
展覧会の会場では広告屋時代に一緒にお仕事させていただいた、ファッション・フォトグラファーの大石一男氏の撮影した写真もあり、昔の仕事を少し思い出しました。当時何でも屋だったので、ファッション関連も仕事も結構やらせて頂きました。
一見すると華やかなファッション業界(付随して広告業界も)ですが、例えばポスターひとつ作るにしても多くのプロフェッショナルの叡智と努力と、汗の結晶です。会場ではポスターに仕様された、フィルムのべた焼きや衣装、撮影現場の模様、色校正のゲラなども展示されておりました。
当時の色々な体験は直接今の仕事とは関係ないのですが、間接的に大変役に立っております。つくづく人生で無駄な経験は無いものだと思いました。
やたら国粋的な主張がはびこっている今日此の頃ですが、その手主張をなさっているのはたいてい実社会で評価されない人たちで、自分が日本人である以外誇ることろが無い人たちのように思います。
ご自分は日本人として何を成したのでしょうか。ネットで悪口を書き散らしているだけではないでしょうか。
そのようなその浅い愛国主義・選民主義は、国際社会で日本人の地位を向上させた先人たちの功績の上あぐらをかいているだけではなく、そのような先人の努力を汚すことのように思えます。
展示を見ながらそんなことも思いました。
「山口小夜子 未来を着る人 - 展覧会」は6月28日までやっております。思ったよりも遥かに大掛かりで、多方面に於ける展示があり、ファッションに興味がない人でも楽しめるかと思います。
東洋経済オンラインに以下の記事を寄稿しました。
投資8000億円!新戦車は陸自弱体化への道
粛々と進む10式戦車調達の問題点<上>
http://toyokeizai.net/articles/-/66868
10式戦車は、欠点・弱点があまりにも多い
粛々と進む10式戦車調達の問題点<下>
http://toyokeizai.net/articles/-/66905
文民統制の放棄!なぜ「空母」が生まれたか
護衛艦「いずも」は、護衛能力のない被護衛艦
http://toyokeizai.net/articles/-/64841
自衛官の「命の値段」は、米軍用犬以下なのか
実戦の備えがないため派兵どころではない
http://toyokeizai.net/articles/-/63496
strong>Japan in Depthに以下の記事を寄稿しました
【お粗末な自衛隊の「衛生」装備】~チュニジアでテロにあった女性医官は「特別」なのか?~
http://japan-indepth.jp/?p=17323
【陸自ファーストエイド・キットが貧弱な件 1】~陸幕広報は取材拒否~
http://japan-indepth.jp/?p=17056
【陸自ファーストエイド・キットが貧弱な件 2】~中谷防衛大臣の答弁に違和感~
http://japan-indepth.jp/?p=17059
この記事へのコメント
松永1佐以下 陸幕広報室のいい加減な仕事と山口さんのプロ根性を対比させたかったのではないでしょうか? 現在の職場では、以前の職場=自衛隊と違い、先輩方はプロ意識が高いです。まぁ惚けて年収1千万以上頂けるなんて、民間では考えられないでしょう。1佐という重役=将官に近いポジションの方がいい加減な仕事しますから下端は推して知るべきです。まぁ顧客がいない、外部の評価がされない、説明責任がない 大学のサークルと同じでしょう。それではスキルは身に付くはずがないでしょう。 右翼?の似非愛国者や左翼?自称平和教原理主義者から睨まれていますが宗教や願望で軍事を語るのは知性や理性のない人と同じです。政策、制度から問題提起・提案して始めて物申すことができるでしょう。清谷さんが軍事ジャーナリストに転向したキッカケや目的を御教示願いますでしょうか。
日本人として誇りか持てなくて、むしろ罪悪感を有し、外国人に土下座しまくってる奴より、よっぽどいい。
ま、しかし、頭がイッチャってて周囲に大迷惑をかけているにもかかわらず、日本人というだけで大目に見てもらえるのはいかがなものか。(分かる人には分かりますよね。)
とはいえ2ちゃんねる辺りに書き込んでいる人たちの中には大した意見を持っている人もいますが、概ね「おいおい」って言いたくなる意見の持ち主が多いように思います。
山本七平の著作を語り継ぐブログ
商業軍国主義者
>商業軍国主義者は、自らをその主義で律することなど全く考えていないから、どんどん過激なことを言うようになる。
>現代にあるのは、商業軍国主義者ではもちろんなく、商業左翼であり、商業人権家であり、商業市民である。
ソ連邦崩壊で「左翼」が「商売」として市場が縮小したためか、「自らを律するため」ではなく「他者(他国)を見下すため」に「愛国」を「利用」する「商業愛国主義者」が台頭してきているようである。
一方、内向きにやたら威勢の良いことだけを言っている口だけ番長も知性のなさを暴露しているだけである。
当ブログで山口小夜子さんのことを知り、展覧会にも行きました。山口小夜子さんに興味を持つようになりまして、最近公開された山口小夜子さんのドキュメンタリー映画も鑑賞しました。ご紹介、ありがとうございます。