表現の自由と信仰の間
イスラム教徒として言おう。「言論の自由」原理主義者の偽善にはもう、うんざりだ
Mehdi Hasan 2015年01月15日
http://www.huffingtonpost.jp/mehdi-hasan/charlie-hebdo_b_6476358.html
フランスで起きた新聞社襲撃事件で、あまり「表現の自由」だけを主張のも考えものです。
無論テロによって他者を弾圧するというのはもって他であり、許すことはできません。
では書く方(描く方)もなにを書いてもいいのか、というとそうでもないと思います。
欧州ではナチについて語ることが極めて難しい環境にあります。
ナチスを擁護するつもりは毛頭ないのですが、ちょっとどうかと。
欧州、ことにドイツとオーストリアではナチス時代のことは「無かった」事になっております。ですが現実に歴史の事実として存在したことで、ありのままの事実を調べ、あるいは議論をすることを封じて(非難することだけはOK)「表現の自由を守れ」と言うのは虫が良すぎるのではないでしょうか。
ナチが悪かったならキリスト教だって大概なものでしょう。
異教徒への排斥、十字軍、魔女狩り、旧教と新教の血で血を洗う抗争なんぞはナチスの行為がままごとにすら思えます。ユダヤ教の旧約聖書の内容も大概でしょう。
あれは大昔のことだからOKなんでしょうかね?
でもアメリカには、現在でも中絶を行う医者を暗殺するようなキリスト教のテロリストもおります。未だにキリスト教にもカルトは存在します。
ハーケンクロイツが悪いならば、キリスト教の十字架も禁止にすればいいじゃないの?と、異教徒であるぼくは思ったりします。
表現の自由は守る必要がありますが、反社会的な勢力を是とする主張を一定限度制限する必要があり、二律背反の落とし所は非常に難しいところです。
実際正解はないのでしょう。ただ「声の大きな人たち」を警戒したり疑うことは必要です。
ペンは剣よりも強し、とは言われますが、ペンで人を殺すこともできます。
メディアが加担した痴漢冤罪など冤罪事件で、無実の人間を自殺に追い込むことが多数あります。またブシュ政権のインチキ世論操作で湾岸戦争が起こり、多数の民間人が巻き添えになって殺されました。先のイラク戦争も同じです。米国民は、正義の戦争と支持をしましたが、多数の現地民間人が死傷し、家族や財産を奪われました。
また米兵も命や手脚を失った人たちが多数出ております。そして結果として中東を不安定化し、イスラム国まで産んでしまいました。まだサダム・フセインが生きていた時代のほうが相当ましだったんじゃないでしょうか。
剣で人を殺すのは悪だが、ペンで人を殺すのは是とされるでしょうか。
その意味では剣よりも厄介です。
フランスでのテロに反対するデモに参加した人たちは、その意味を深く噛みしてメテエの「表現の自由 書く自由」を主張しているのでしょうか。単に自己陶酔しているような人も多いのではないでしょうか。我々物書きは特にこの点を肝に銘じて常に自省する必要があるように思います。
ネットの世界では「表現の自由」という妖怪が徘徊しています。
人の主張をキチンと読まずに、ネット上のガセ情報を盲信して他人の悪口を匿名で書くことを生き甲斐にしているクズが多数生息しています。
誤りを指摘されてもそれを認めない連中が「表現の自由、主張する自由」を主張するのも如何なものかと思います。
ぼくも匿名だからこそ出来る議論は有るとは思いますが、匿名であれば尚更品位は必要でしょう。ところが実際は匿名を隠れ蓑に、誹謗中傷すること自体が目的で、それが認知欲求を満たしているのでしょう。
責任も取らないし、本名を出しては威勢のいいことも言えないチキンたちです。
まあ、この手の連中は表現者というよりもテロリストみたいなものです。
彼らの表現の自由、言論の自由の主張はテロリストがテロを行う自由を主張しているようにしか思えません。
慰安婦問題を捏造した朝日新聞は社会から糾弾を受け、それなりの社会的な制裁を受けておりますが、この手のクズに限って居丈高に「朝日新聞はケシカラン、責任をとれ」とネットの上で大騒ぎするのです。
こういうのは二重基準というのですけどね。
■東洋経済オンラインに以下の記事を寄稿しました。
P-1哨戒機の対英輸出計画は「画餅」である
武器輸出で華々しい成果を狙い過ぎ
http://toyokeizai.net/articles/-/58317
C-2輸送機の輸出構想は、「画に描いた餅」
事実を踏まえない空虚な政策は止めるべき
http://toyokeizai.net/articles/-/56949
■Japan in Depth に以下の記事を寄稿しました。
【自衛隊の戦力は大きく弱体化する】~安倍政権の無邪気な兵器”大人買い“~
http://japan-indepth.jp/?p=13619
ぼくが主筆をつとめている東京防衛航空宇宙時評/Tokyo D&A Reviewに以下の記事を寄稿しております。
防衛省、平成27年度予算案にグローバルホークの取得費の一部を計上
http://www.tokyo-dar.com/news/1097/
Mehdi Hasan 2015年01月15日
http://www.huffingtonpost.jp/mehdi-hasan/charlie-hebdo_b_6476358.html
フランスで起きた新聞社襲撃事件で、あまり「表現の自由」だけを主張のも考えものです。
無論テロによって他者を弾圧するというのはもって他であり、許すことはできません。
では書く方(描く方)もなにを書いてもいいのか、というとそうでもないと思います。
欧州ではナチについて語ることが極めて難しい環境にあります。
ナチスを擁護するつもりは毛頭ないのですが、ちょっとどうかと。
欧州、ことにドイツとオーストリアではナチス時代のことは「無かった」事になっております。ですが現実に歴史の事実として存在したことで、ありのままの事実を調べ、あるいは議論をすることを封じて(非難することだけはOK)「表現の自由を守れ」と言うのは虫が良すぎるのではないでしょうか。
ナチが悪かったならキリスト教だって大概なものでしょう。
異教徒への排斥、十字軍、魔女狩り、旧教と新教の血で血を洗う抗争なんぞはナチスの行為がままごとにすら思えます。ユダヤ教の旧約聖書の内容も大概でしょう。
あれは大昔のことだからOKなんでしょうかね?
でもアメリカには、現在でも中絶を行う医者を暗殺するようなキリスト教のテロリストもおります。未だにキリスト教にもカルトは存在します。
ハーケンクロイツが悪いならば、キリスト教の十字架も禁止にすればいいじゃないの?と、異教徒であるぼくは思ったりします。
表現の自由は守る必要がありますが、反社会的な勢力を是とする主張を一定限度制限する必要があり、二律背反の落とし所は非常に難しいところです。
実際正解はないのでしょう。ただ「声の大きな人たち」を警戒したり疑うことは必要です。
ペンは剣よりも強し、とは言われますが、ペンで人を殺すこともできます。
メディアが加担した痴漢冤罪など冤罪事件で、無実の人間を自殺に追い込むことが多数あります。またブシュ政権のインチキ世論操作で湾岸戦争が起こり、多数の民間人が巻き添えになって殺されました。先のイラク戦争も同じです。米国民は、正義の戦争と支持をしましたが、多数の現地民間人が死傷し、家族や財産を奪われました。
また米兵も命や手脚を失った人たちが多数出ております。そして結果として中東を不安定化し、イスラム国まで産んでしまいました。まだサダム・フセインが生きていた時代のほうが相当ましだったんじゃないでしょうか。
剣で人を殺すのは悪だが、ペンで人を殺すのは是とされるでしょうか。
その意味では剣よりも厄介です。
フランスでのテロに反対するデモに参加した人たちは、その意味を深く噛みしてメテエの「表現の自由 書く自由」を主張しているのでしょうか。単に自己陶酔しているような人も多いのではないでしょうか。我々物書きは特にこの点を肝に銘じて常に自省する必要があるように思います。
ネットの世界では「表現の自由」という妖怪が徘徊しています。
人の主張をキチンと読まずに、ネット上のガセ情報を盲信して他人の悪口を匿名で書くことを生き甲斐にしているクズが多数生息しています。
誤りを指摘されてもそれを認めない連中が「表現の自由、主張する自由」を主張するのも如何なものかと思います。
ぼくも匿名だからこそ出来る議論は有るとは思いますが、匿名であれば尚更品位は必要でしょう。ところが実際は匿名を隠れ蓑に、誹謗中傷すること自体が目的で、それが認知欲求を満たしているのでしょう。
責任も取らないし、本名を出しては威勢のいいことも言えないチキンたちです。
まあ、この手の連中は表現者というよりもテロリストみたいなものです。
彼らの表現の自由、言論の自由の主張はテロリストがテロを行う自由を主張しているようにしか思えません。
慰安婦問題を捏造した朝日新聞は社会から糾弾を受け、それなりの社会的な制裁を受けておりますが、この手のクズに限って居丈高に「朝日新聞はケシカラン、責任をとれ」とネットの上で大騒ぎするのです。
こういうのは二重基準というのですけどね。
■東洋経済オンラインに以下の記事を寄稿しました。
P-1哨戒機の対英輸出計画は「画餅」である
武器輸出で華々しい成果を狙い過ぎ
http://toyokeizai.net/articles/-/58317
C-2輸送機の輸出構想は、「画に描いた餅」
事実を踏まえない空虚な政策は止めるべき
http://toyokeizai.net/articles/-/56949
■Japan in Depth に以下の記事を寄稿しました。
【自衛隊の戦力は大きく弱体化する】~安倍政権の無邪気な兵器”大人買い“~
http://japan-indepth.jp/?p=13619
ぼくが主筆をつとめている東京防衛航空宇宙時評/Tokyo D&A Reviewに以下の記事を寄稿しております。
防衛省、平成27年度予算案にグローバルホークの取得費の一部を計上
http://www.tokyo-dar.com/news/1097/
この記事へのコメント
先輩から言葉というのは、薬にもなるし、毒にもなる。と教わりました。 自分が悪意もなく発した言葉で相手を怒らせることもあります。逆に自然体で発した言葉が相手を慰めることもあります。言葉というのは本当難しいです。
このブログに関して自分に関する意見、批判は可能で限り答えます。相手が納得する、しないに関わらず説明責任を果たすのが礼儀だと自分はそう思います。
人それぞれ価値観、思想は違いますので多様性を受容するのは、難しいなぁ!個人と個人の関係でも難しく、言葉で殺人が起きているので、国家や民族はもっと難しいでしょう。利権、宗教、歴史が複雑に関わっていますから。
朝日新聞が謝罪した背景には、橋下市長による従軍慰安婦問題に関する一連の発言が突破口になったことに疑いの余地はないでしょう。なら、朝日を叩いている人は、同時に橋下市長の功績を讃えるべきだと思うのですが、そうはなっていないのが残念です。
世の中を変えようと思ったら、日の当たる所で堂々と意見を述べて、批判・非難も受けて立たなければならない、ということを学んだ気がします。そうではなく、批判・非難に対してすぐブチ切れる、度量の狭い人が清谷様がバカにしている安倍総理や、私のお友達の元キャプテン氏なんですね(笑)
批判・非難にすぐキレる・・狭い度量云々
お断りしておきますが、批判・非難に対して意見を言っているだけで、キレているわけではありません。
また、他人の言葉に耳を貸す余裕はあります。
言いなりになるのと耳を傾けることは違います。その点は履き違えないでください。
多分、この問題は矛盾というものが人類の永久の課題ではないかと自分は感じました。 世の中、矛盾だらけ どう折り合いをつけるか。現実を認識することが始めの第一歩なのでしょう。
恐らくフランス(というか欧州)の無意識は、その頃のトラウマと怒りを狂信的な過激派への怒りに投影・同一視し、「傷つけられた言論の自由」には過去に抹殺された本当のアイデンティティを投影・同一視していて、それが現地でヒステリックな動きを引き起こしているのかもしれないと思いました。
狂信に侵略され抹殺されてしまった自分達本来のアイデンティティの代用として、『狂信的なイスラム過激派の侵略と(ペンで)戦う崇高な戦士』といういわば偽のアイデンティティを作り自己暗示で刷り込んでいるのかも?
ネットで誹謗中傷している人たちも、「(自分達の支持する意見で世論統一したいのに自分の意見と違うことを書いてそれを邪魔する)悪い奴をやっつける正義の使者=自分」みたいな自己陶酔妄想に陥っているような印象もあります。
往々にしてそういう者には一定の信者がつくから尚問題
ジャーナリスト名乗ってても間違いだらけ嘘だらけの記事書いて恥じない奴もいるし、
匿名でも価値のある情報や見識を示す奴もいる
結局は騙されないように受け手が賢くならなきゃダメですな
日本人ジャーナリストの2億ドル身代金誘拐事件についての件につきましてイスラム国の考えられる目的は?1 大国と堂々渡り歩けるという政治的アピール、金はどうでもいい。日本は軍事的報復ができないので、日本をターゲットにした。2 資金難の現状、軍事要員の報酬や占領地でのインフラ整備に資金が必要。日本をターゲットにした理由は上記の1と同じ。
果たして日本政府は身代金を払うのか、米軍に依頼して特殊部隊による救出作戦をするのか 今後の動向を見守りたいと思います。
そうですよ。あと100年ぐらいしたら、ナチスも原爆投下も普通にパロディのネタになってますよ。
「沈黙の艦隊」などという、荒唐無稽なマンガをバイブルにしている元キャプテン氏と私との論争も、遠い将来において公正な審判と評価が下されるであろう、という淡い期待を抱いています。
マスコミの世界で放映禁止用語というものがございます。放映禁止用語はどういう基準や過程で決めるのか御教授くださいますでしょうか。
霧海南針様
公式の場に限らず、私的空間の場でも発言に責任・節度が求められることは異論はありません。自分なりの根拠、思想、理念をもって説明することが肝要ではないでしょうか。
このテーマは以前の一票の格差と憲法問題でもあった法と倫理、公私の区別と同質の問題ではないでしょうか?
社会やコミニュティーで生活するには、法律、規範、道徳、常識、礼儀というものがあり、自由と権利が何事よりも優先されるというのは拡大解釈していると思います。自分は秩序あっての自由だと思います。そのことは学校・家庭の場でしっかりと教育すべきだと思います。
「こんなに弱い韓国軍!」
「悲惨な中国軍の実態!」
なんていう反面
「自衛隊の強さマジヤバい」
「自衛隊の装備は世界最強」
なんて書いてあるし。
ミリオタにとって自衛隊は、戦略ゲームの駒としか見えてないんでしょう。(しかもゲームの中では自分がトップに立てますし)
風刺は弱者が強者に対し「内面までは支配されないぞ」という「抵抗」です。欧州においてイスラムは「強者」とまで言えるのでしょうか。また風刺には時には批判される側ですら認めざるを得ない程の「一面の真理」が含まれているものです。だから「お前の母ちゃん出べそ」では風刺にはなりません。その意味では仏でテロ扇動罪にされた「新聞では銃弾を防げない」の方が、「あなた達も原理主義的ではないのか」という「一面の真理」が含まれているように思います。
歴史作家の井沢元彦氏が「中国はずっと周囲の民族を野蛮人と見下していた。しかし宋の時代その”野蛮人”に皇帝らを捕虜にされてしまい、かつ当時の中国にはやり返す力は無かった。そこで酸っぱいブドウよろしく相手をより見下す事で心のバランスを取ろうとした。そうして生まれたのが排他的・独善的な朱子学である。」といった事を書いていました。今の欧州も「自由や豊かさを恵んでいる」はずの移民に対する依存度が増し、かつ「自由・平等」を建前とする以上公然と排斥もできないので、その「ガス抜き」として行われているのかも知れないと思ったりもします。
多宗教のタブーにいちいち縛られないのは基本的人権ですよね
風刺画でイスラム教徒の各個人の権利が侵害されたとも言えないし法的に問題無いなら法治国家では特に非難する理由は無いんじゃないですかね
そもそも表現の自由が権利で個人の生命財産を侵害するテロがNGなのは2重基準では無いのでは?
別に沈黙の艦隊をバイブルにしているわけではありません。愛読書ではございますが・・現実と理想の区別は判断できます。
あなたの頭大丈夫?
あんたと論争の審判・評価して何の意味あるのでしょうか?別にあんたと競うつもりないよ。ただの優越感浸りたいだけのマスターベーションだろ!職場やプライベートでは相手されていないでしょう。そのストレスを解消するためにブログで屁理屈捏ねて優越感に浸りたいだけだろ!
投稿するのは構わないが、俺をネタにするのはやめろよ!
自衛隊最強装備云々
弱い中国軍
そんな2チャンネル存在しているんですか?
内容見ていないので、わかりませんが
褒め殺しして何か自分にリターンがあるとは思いません。現役隊員にとっても迷惑千万です。
頭が悪く、コンプレックスの塊の連中だと思いますが、だったら入隊しろよ!と言いたい。パソコンのバーチャルの世界だけでオナニーしているだけのチキンだから無理か!
できない、やれないなら黙ってろよ!と言いたい。
軍事に興味があり、日本が一番だと主張すれば愛国だと思い込んでいる。行動が伴っていない。
その通りですね。その警戒すべき「声の大きな人たち」の代表例が元キャプテン氏でしょう。
自衛隊を侮辱し挑発する内容のコメントや、皆が辟易とするような長文の提案を連発し、他人に対し「クソアマ」「口だけ大将」といった罵詈雑言を平気で浴びせてくる。
無論、表現の自由は尊重すべきですが、その副作用でこうした人間が出現するわけですね。人間の社会とは難しいものです。
あんた、粘着質だなぁ! 確かに暴言まがいの発言したよ!それは認めるよ!あんた何度も自分に対して侮辱しているよな!自分のこと棚に揚げて、他人を批判していることは二重基準や二枚舌じゃねぇ~の?
投稿するのは構わないが、俺をネタにするな!と言ったよな。
そんなに俺に喧嘩売りたいのか!いい加減にしろよ!
傍らから見たら批判で有っても痛いとこ突かれたら逆上する人もいるしねえ?元キャプテン氏
「毒も使いようによっては薬になる」という言葉を思い出しました。つまり、元キャプテン氏のような人物に「言論の自由」という道具を与えると「気違いに刃物」という状態になるのでしょう。
民主主義とは民衆が主権を持つ状態なのですから、その分だけ民衆は賢くならなければ上手く機能しない、その責任も民衆が取れ、というシステムなのでしょう。
まさに地上の楽園はない、ですね。
「どんなものもタブーなく風刺することが許されるべきであり、フランスではそうしている」
と言った趣旨のコメントを語っていました。
正直言って私には物凄く違和感を感じる言葉でした。
風刺と言う言葉で覆えば悪口雑言も正当化されるものでしょうかね?
その違和感を感じた後にかつて福島の事故が起きた後にサッカーの日本対フランスの親善試合でGKの川島選手をコラージュした写真(腕を四本にした奴です)を作って「これもフクシマの影響か?」なんて無神経なことをしたのもフランス人なのを思い出しました。
彼らは自己正当化は一生懸命やっても自己反省をする気が無いようですね。
「自分が言われたら嫌な事は言わない」という考え方が無いフランス人はある意味こうなって当然なんじゃないんですか?
だってしょうがないでしょう。安倍総理と同じで批判・非難に対してすぐブチ切れる、度量の狭い人なんですから。この人の辞書には謙虚という文字はないんですわ。だから、テメエは自分のこと棚に揚げて~ とか、テメエは優越感浸りたいだけだろとか、二重基準だとかの、安倍総理でさえも使わない安直な言い訳を人にぶつけてくるんですよ。これじゃあ逆上と言われても仕方ないでしょう。
「幸福の追求権(愚行権)」というものがあります。健康を思えば酒も煙草も有害無益ですが、「それを分かった上でそれをする」権利です。当然それは「他者や社会に侵害しない、危害を加えない、己が責任を取れる」範囲内ですが。だから酒も煙草は認められても、他者や社会に危害を加えない範囲での利用が不可能な薬物は認められないのです。尤も「何を以て愚行とするか」という問題もありますが。「芸術・芸能のような人間の生存に関係ない事をする事は愚行か否か」もありますし、世界には「女が勉学を望むなどという事が愚行」という考えもあるようですから。
言論・表現の自由は「己の責任」で行使するものです。ですからある人々が主張する「自分は他人に何をしても良いが、他人が自分にする事は許さない」というのは「特権」だと思います。「特権」であるならばそいつが「その特権にふさわしいか否か」の検証が必要だと思います。