靖国は遠くにありて思うもの、か。 神学論争の不毛
首相の真榊奉納は「迂回参拝だ」…中国紙が批判
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20131018-OYT1T00957.htm?from=top
靖国参拝の自民・高市氏「首相の参拝楽しみにしている」
http://www.asahi.com/politics/update/1018/TKY201310180114.html
はっきり言って、靖国参拝を政治問題化するのは頭が悪すぎるんじゃないですか。
戦没者に哀悼の意を表するのに他国の顔色みてやるか、やらないか、公人としてか私人としてかなんてナンセンスですよ。
安倍首相は政治的、外交的な駆け引きで、参拝に行こうか行くまいかとやっている時点で、敵の策中にはまっているようなものです。堂々と行けばいい。
大体どこの国だって100パーセント正義の戦争なんてしていなんだし、それを言い出せば中国だって韓国だって後ろめたいことはあるでしょうや。アメリカもフランスでもそうです。
それは言わない約束でしょう、というのが国際社会の大人の約束事です。
それを無視するゴロツキは放置していればいい、ゴロツキとお友達になる必要はありません。
まあ我が国が万引き犯とするなば、中国なんぞ連続婦女暴行殺人強盗誘拐犯です。
そいつに説教垂れられる筋合いはありません。独裁国家のプロパガンダを真に受ける必要は全くありません。
それで四の五のいうのであれば、人民解放軍はチベット人の弾圧やらベトナムやインドに戦争しかけたから中国の要人が戦没者を慰霊したら国交断絶すると言えばいいことです。
要は、バカは黙れといえば宜しい(外交的にはもっと穏当な表現になるのでしょうけど)。
公人、私人の色分けもナンセンスです。例えばぼくがジャーナリストとしては人種差別反対だけど、私人としては差別主義者ですといっても通らないでしょう。それとも政治家は器用に体を私人、公人に分割して分離したり、くっつけたりできるんでしょうかね。
それとA級戦犯についての扱いも、人それぞれでしょう。東京裁判は茶番で、冤罪で吊るされた人も多くいます。それについて我々はオブジェクションを唱える付けるべきです。
が、戦死でない人を祀るのはどうでしょうかね。
戦場で亡くなった人を祀るのが靖国でしょう。A級戦犯が祀られるならば勤労奉仕で亡くなった学生や空襲で死んだ一般人なども祀るべきだと思います。そうでないと不公平です。
また戦争指導者たちはマトモに戦争の終わらせ方も考えずに、ノリと組織内政治で馬鹿な戦争を始めた阿呆が多数おります。コイツラのせいで、戦死は勿論餓死、病死、手足を失った兵隊がどれだけいるでしょうか。
彼らを「英霊」としていいのでしょうかね?
連合国=正義、 日本=悪という構図に対しては断固反論する必要がありますが、だからといって無責任に戦争を始めた連中まで称えるのは筋が違うでしょう。
この手の問題に対する考え方は人それぞれだし、それをオマエは間違っている、愛国者じゃないと指弾するのは、いい歳した大人のやることではない思います。
それから参拝が宗教行為云々いうのは子供じみています。
それならばキリスト教徒の安息日である日曜日を休日にしていること、キリストの生誕をもとにしている西暦を使うことも宗教的であり、やめないといけません。
新しいウエッブメディア、NEXT MEDIA に以下の記事を寄稿しております。
在外の駐在防衛官は外交官?防衛省から外務省に出向してから派遣する奇妙なシステム
http://japan-indepth.jp/?p=812
陸自の新兵器、機動戦闘車は無用の長物|[連載]清谷信一の自衛隊の常識は軍隊の非常識
http://japan-indepth.jp/?p=755
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20131018-OYT1T00957.htm?from=top
靖国参拝の自民・高市氏「首相の参拝楽しみにしている」
http://www.asahi.com/politics/update/1018/TKY201310180114.html
はっきり言って、靖国参拝を政治問題化するのは頭が悪すぎるんじゃないですか。
戦没者に哀悼の意を表するのに他国の顔色みてやるか、やらないか、公人としてか私人としてかなんてナンセンスですよ。
安倍首相は政治的、外交的な駆け引きで、参拝に行こうか行くまいかとやっている時点で、敵の策中にはまっているようなものです。堂々と行けばいい。
大体どこの国だって100パーセント正義の戦争なんてしていなんだし、それを言い出せば中国だって韓国だって後ろめたいことはあるでしょうや。アメリカもフランスでもそうです。
それは言わない約束でしょう、というのが国際社会の大人の約束事です。
それを無視するゴロツキは放置していればいい、ゴロツキとお友達になる必要はありません。
まあ我が国が万引き犯とするなば、中国なんぞ連続婦女暴行殺人強盗誘拐犯です。
そいつに説教垂れられる筋合いはありません。独裁国家のプロパガンダを真に受ける必要は全くありません。
それで四の五のいうのであれば、人民解放軍はチベット人の弾圧やらベトナムやインドに戦争しかけたから中国の要人が戦没者を慰霊したら国交断絶すると言えばいいことです。
要は、バカは黙れといえば宜しい(外交的にはもっと穏当な表現になるのでしょうけど)。
公人、私人の色分けもナンセンスです。例えばぼくがジャーナリストとしては人種差別反対だけど、私人としては差別主義者ですといっても通らないでしょう。それとも政治家は器用に体を私人、公人に分割して分離したり、くっつけたりできるんでしょうかね。
それとA級戦犯についての扱いも、人それぞれでしょう。東京裁判は茶番で、冤罪で吊るされた人も多くいます。それについて我々はオブジェクションを唱える付けるべきです。
が、戦死でない人を祀るのはどうでしょうかね。
戦場で亡くなった人を祀るのが靖国でしょう。A級戦犯が祀られるならば勤労奉仕で亡くなった学生や空襲で死んだ一般人なども祀るべきだと思います。そうでないと不公平です。
また戦争指導者たちはマトモに戦争の終わらせ方も考えずに、ノリと組織内政治で馬鹿な戦争を始めた阿呆が多数おります。コイツラのせいで、戦死は勿論餓死、病死、手足を失った兵隊がどれだけいるでしょうか。
彼らを「英霊」としていいのでしょうかね?
連合国=正義、 日本=悪という構図に対しては断固反論する必要がありますが、だからといって無責任に戦争を始めた連中まで称えるのは筋が違うでしょう。
この手の問題に対する考え方は人それぞれだし、それをオマエは間違っている、愛国者じゃないと指弾するのは、いい歳した大人のやることではない思います。
それから参拝が宗教行為云々いうのは子供じみています。
それならばキリスト教徒の安息日である日曜日を休日にしていること、キリストの生誕をもとにしている西暦を使うことも宗教的であり、やめないといけません。
新しいウエッブメディア、NEXT MEDIA に以下の記事を寄稿しております。
在外の駐在防衛官は外交官?防衛省から外務省に出向してから派遣する奇妙なシステム
http://japan-indepth.jp/?p=812
陸自の新兵器、機動戦闘車は無用の長物|[連載]清谷信一の自衛隊の常識は軍隊の非常識
http://japan-indepth.jp/?p=755
この記事へのコメント
我が国の長は、自分が日本人の信頼を得るために、序列人間である証拠を示さなければならない。だから、神社参拝が必要である。カミに服従を示す態度・姿勢が欠かせない。信なくば立たず。村八分にされては活動できない。
序列人間の長であることが人々に確信できれば、いったん緩急あれば、’たとえ火の中水の中’ という人間がいっぱいいる。ともに散ります国のため。かれらは、そうでなければ動かない人たちでもある。
だから、我が国の政治家は、英霊の御霊に追悼の念を表す際に、宗教家の手を煩わさないわけにはゆかないのである。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
安倍総理の参拝ですが、連立を組んでいる公○党が拒否反応を示しているのではありませんか?
ところでキヨタニ様はご存じかと思いますが、A級戦犯も含め戦犯とされた方々の1955年に名誉を回復しており、国内的にも国際的にも戦犯は存在しません。また、その時の決議で「戦犯」とされた人々の死を、「戦争による公務死」としていますから、戦死と同じ扱いにしても問題はないと思います。
賛成です。第二次大戦は、戦場で軍人だけが死ぬような、古典的な戦争ではありませんでした。靖国神社の戦争観は古い、靖国も生き残るには変わる必要があるでしょう。
民間人を勝手に祀るのはマズイんじゃないですか?
軍人は公務員だから国の一存でも問題無かっただけでは