国歌斉唱時に不起立は思想信条の問題にあらず。
橋下市長率いる「維新」の府議発言に抗議
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120312-916471.html
毎度申し上げておりますが、これは思想や信条の問題ではありません。
単なる社会常識の問題です。
民主主義の社会においては、自分が不本意でも多数決や決まったルールに従うのことが必要です。皆がそれを無視すれば、社会が崩壊するからです。
自分が正しければ、法やルールを守る必要はない、というのはテロリストやカルト宗教の論理です。
反体制な自分ってカッケーてな、感じで脳内麻薬で気持ちよくなるからやめられないんでしょう。自分が社会の、ヒーロー、ヒロインになった気になるんでしょうが、これって脳内麻薬に冒された、ある意味ジャンキーみたいなものです。ちょっと間違えると、地下鉄でサリンを撒いたり、丸の内のビルに爆弾しかけるようになったりします。
ぶっちゃけた話、そんな常識以前のことをできないのであれば、畜生以下です。
猫や犬でもルールを教え込んで躾ければ、お手をするし、便をするときは砂箱でします。繰り返しますが、それができない教師は畜生以下です。畜生以下のイキモノが教壇にたって子供にモノを教えているわけす。
どうしても主義、信条的に納得できないならば、学校以外の場所で活動すべきです。子供を巻き込むべきではありません。子供を巻き込むのはカルトやテロリストの常なんでしょうけど。
或いは学校はやめ、私塾でも起こせばいいでしょう。そこでご自分の思想に基づく「理想の教育」をやればいいじゃないですか。
ところがこういう連中にとっては公務員の身分と老後の保証が実は一番大切だったりするわけです。ですから、彼らはリスクをとりません。
式後の10日に開いたPTAの会議で「卒業式の場で言うべきことではない」「感動的な卒業式だったのに、生徒がかわいそうだ」との意見が相次ぎ、PTAは同日、西田府議に謝罪と生徒への祝辞をインターネットのブログに掲載するように求めた。
親たちも教師たちに感化されているんでしょうね。
社会にでたら、常識としても求められる、最低の常識ををねじ曲げている問題教師をPTAが放置している事のほうが、よほど問題だと思いますが。あたしゃ。
それともこの学校の父兄のみなさんは、社会のルールなんざさらさら守る必要はない、そのように思っていらっしゃるんでしょうか。
社会の最低のルールも守れない教師の思想オナニーを見せつけられるのが「感動的な卒業式」なんでしょうかね。
まあ、そんな常識がないから、彼の地で公務員のゴネ得、無法がまかりとってきたのでしょう。教師が教師ならば親も親です。
まともな親御さんもいらっしゃるでのでしょうが、声が大きのは大抵、カルトな方の人たちです。
無理が通れば道理が引っ込む、といったところでしょう。
まったくもって困ったものです。
朝日新聞のWEBRONZA+
に以下の記事を寄稿しました。
清谷信一.自衛隊は3・11の「戦訓」を活かせるか(上)
http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012031000001.html
清谷信一.自衛隊は3・11の「戦訓」を活かせるか(下)
http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012031000002.html?iref=webronza
【新刊のご案内】
拙著「防衛の死角」(PHP刊)が発売になりました。
【告知】
林信吾と共著の仮想戦記「真・大東亜戦争」シリーズが電子版が販売中です。
現在第一巻のみ定価450円→0円 なんと完全無料です
http://itunes.apple.com/jp/app//id480083237?ls=1&mt=8
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120312-916471.html
毎度申し上げておりますが、これは思想や信条の問題ではありません。
単なる社会常識の問題です。
民主主義の社会においては、自分が不本意でも多数決や決まったルールに従うのことが必要です。皆がそれを無視すれば、社会が崩壊するからです。
自分が正しければ、法やルールを守る必要はない、というのはテロリストやカルト宗教の論理です。
反体制な自分ってカッケーてな、感じで脳内麻薬で気持ちよくなるからやめられないんでしょう。自分が社会の、ヒーロー、ヒロインになった気になるんでしょうが、これって脳内麻薬に冒された、ある意味ジャンキーみたいなものです。ちょっと間違えると、地下鉄でサリンを撒いたり、丸の内のビルに爆弾しかけるようになったりします。
ぶっちゃけた話、そんな常識以前のことをできないのであれば、畜生以下です。
猫や犬でもルールを教え込んで躾ければ、お手をするし、便をするときは砂箱でします。繰り返しますが、それができない教師は畜生以下です。畜生以下のイキモノが教壇にたって子供にモノを教えているわけす。
どうしても主義、信条的に納得できないならば、学校以外の場所で活動すべきです。子供を巻き込むべきではありません。子供を巻き込むのはカルトやテロリストの常なんでしょうけど。
或いは学校はやめ、私塾でも起こせばいいでしょう。そこでご自分の思想に基づく「理想の教育」をやればいいじゃないですか。
ところがこういう連中にとっては公務員の身分と老後の保証が実は一番大切だったりするわけです。ですから、彼らはリスクをとりません。
式後の10日に開いたPTAの会議で「卒業式の場で言うべきことではない」「感動的な卒業式だったのに、生徒がかわいそうだ」との意見が相次ぎ、PTAは同日、西田府議に謝罪と生徒への祝辞をインターネットのブログに掲載するように求めた。
親たちも教師たちに感化されているんでしょうね。
社会にでたら、常識としても求められる、最低の常識ををねじ曲げている問題教師をPTAが放置している事のほうが、よほど問題だと思いますが。あたしゃ。
それともこの学校の父兄のみなさんは、社会のルールなんざさらさら守る必要はない、そのように思っていらっしゃるんでしょうか。
社会の最低のルールも守れない教師の思想オナニーを見せつけられるのが「感動的な卒業式」なんでしょうかね。
まあ、そんな常識がないから、彼の地で公務員のゴネ得、無法がまかりとってきたのでしょう。教師が教師ならば親も親です。
まともな親御さんもいらっしゃるでのでしょうが、声が大きのは大抵、カルトな方の人たちです。
無理が通れば道理が引っ込む、といったところでしょう。
まったくもって困ったものです。
朝日新聞のWEBRONZA+
に以下の記事を寄稿しました。
清谷信一.自衛隊は3・11の「戦訓」を活かせるか(上)
http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012031000001.html
清谷信一.自衛隊は3・11の「戦訓」を活かせるか(下)
http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2012031000002.html?iref=webronza
【新刊のご案内】
拙著「防衛の死角」(PHP刊)が発売になりました。
【告知】
林信吾と共著の仮想戦記「真・大東亜戦争」シリーズが電子版が販売中です。
現在第一巻のみ定価450円→0円 なんと完全無料です
http://itunes.apple.com/jp/app//id480083237?ls=1&mt=8
この記事へのコメント
言いたいことはわかりますがこういった言い方はよくないと思います。
<学校はやめ、私塾でも起こせばいいでしょう。そこでご自分の思想に基づく「理想の教育」をやればいいじゃないですか。
おっしゃるとうりですね。誰も教師でいる事を強要しているわけじゃないんですから。自分に合った私立に行くなり、自分のために熟作るなりすればいいんですよ。
安全圏から自分たちの立場も忘れて権利ばかり叫んでいるのが納得いきませんわ。
非常にストレートでわかり易い表現だと思います。むしろこのくらいの毒があるからこそ、清谷氏の文章は面白いのではないでしょうか。
本心からこう思っております。
言いたいことをいうのであれば、ぼくのように組織に属さないでやればいいんです。
社会のルールを破ってまで自分の身勝手な主張を子供を巻き込んで行う、しかも老後の保証まで欲しいリスクを負いたくないというでは、まさに人間のクズであり、畜生以下だと思っております。
ガチな日教組なセンセの御子息が某有名私立中学に入学したって話もある位なので、彼等からすれば、俺達のアジに騙される方が悪いんだよって感じなのでしょうね。まあ、その一方ガチな原理主義天然記念物も同居しているのでより始末に負えない訳でして。
彼らはこの問題を思想信条の自由の問題にしようとしていますが、問題はそこではなくて、公務員が法律や命令に従わないという点です。日本の国歌は君が代であると国旗国歌法によって規定されているわけですし。そもそも、公務員の政治活動は禁止されているわけですから。
教師の師弟は優先して採用されるシステムが
あります。
民主主義の在り方やそれを採用する我が国の立憲主義について、またその上に成り立つ我が国の政治の目的について、貴方は真剣に学んだことがおありですか?
それから自分の考え方や思想を正当なものであると主張なさりたいのなら、身勝手な憶測や、反対論者の人格まで否定しかねない発言、論点のすり替えは避けるべきです。
そういった目的でもないのでしょうから、貴方が貴方のブログで何をおっしゃろうと自由なのですが。
ともあれ、おもしろく読ませていただきました。ありがとうございました。
単なる常識の問題です。タバコを吸いながら、ここは禁煙ですと人を諭してもだれも聞きませんよ。
それでもあくまで思想信条であると主張するのであれば職を辞すべきです。
幸いにして我が国には職業選択の自由があります。
子供たちをだしに政治ゴッコ、殉教者ゴッコを楽しみたいが、公務員という安楽な立場も手放したいというのは畜生以下です。
ぼくが彼らの生徒ならば、常識が欠如した異常教師に教えを受けたくないと、だがぼくには学習する権利があるからあんたらやめてくれ主張するでしょう。その場合かれらはぼくの自由を
尊重するでしょうか。間違いなくぼくの自由と権利は無視され、自分たちの「権利と自由」を主張するでしょう。
畜生以下の連中が人権や思想、自由を主張するのは片腹痛いだけです。その畜生以下の連中に
すら基本的人権が認められているのが我が国です。
ただ、禁煙とされている場所で喫煙することと、国歌斉唱時に起立しないこととは、同列に扱える問題ではありませんよ。
ご存知ないようなのでお話ししますが、現代日本の民主主義は、比較不能なほどに多様な諸価値観の共存を前提にしているのです。すなわち国家をキリスト教や神道といった一つの価値観で統合するのではなく、様々な価値の存在を認め、国家は公共の福祉に害を与えるものでない限り、そこに一切介入しない。革命思想や国家転覆思想ですら、抱くことを許すのです。それを近代立憲主義といいます。そうでない限り、社会は血で血を洗う争いになりかねないからです。(ホッブズの『リヴァイアサン』をお読みになったことがありますか?)
翻って考察するに、喫煙問題は公共の福祉を害するものとして国家による制約がある程度認められるものでしょうし、それに反する行為は「常識知らず」とみなされてしかるべきものかもしれません。
しかし卒業式で国歌斉唱時に起立しないことが公共の福祉に反することでしょうか? それを国家が抑制することが現行の立憲主義的民主主義の趣旨に沿うものでしょうか? 起立しないことで世の中のどなたの迷惑になるでしょうか? それを常識の問題と言い切れるのでしょうか?
まずは立憲主義に明らかに反する国旗国家条例の存在を問題視すべきではありませんか? 法令で殺人命令が規定されてもそれに従わない物を、「多数決で決まったルールに従わない常識知らず、畜生以下だ」と罵ることができますか?
どうでしょうか。今後の僕の勉強のために、是非教えて頂ければと思います。お願いいたします。
あたりまえですよ。反します。議論の余地はありません。
常識を教えるべき教師が非常識なんですから。文明社会では自分が気に入らなくとも、
守らなくてはならないルールがある。
それが出来ないならば教師を辞めるべきです。
その自由はあるのですから。
あなたは一つの教室で生徒が皆、それぞれあなたのように小理屈を捏ねて授業拒否をするのも是とするんでしょうね。
あなたは多分色々本を読んでいるインテリなんでしょうが、もう少しご自分の頭で考えた方が宜しいのではないでしょうか。知識が多ければ、教養さえあれば正しい結論を導きだせるというのはイリュージョンですよ。
簡単な話を生半可な知識を振りかけて、わざわざ難しくすることが知性ではありませんよ。
>ご存知ないようなのでお話ししますが
>それを近代立憲主義といいます。
上から目線のご高説に異を唱えて恐縮ですが、
御節だと我が国以外に近代立憲主義はない、ということですね。
あなたはスターバックスで平気で喫煙して、たしなめる店員さんに思想の話をもちだして、法律では禁止されていない、私には喫煙をする自由と権利があると主張なされるのでしょう。
ぼくはかつてこの手の人達と議論をしたことが多々ありました。
結論からいって、そのような方との議論は時間の無駄です。
ところで、とんでもない、僕は「インテリ」などと呼べる代物では、とてもありません。僕は「上から目線」でものを言ったつもりも、「ご高説」を披露したつもりもありません。僕が上で述べたのは、高等学校の政治・経済・倫理の教育課程を真面目に受講した者であれば、誰もが「常識」と思うことばかりです。貴方がどういう方なのかは、不勉強にしてまったく存じ上げないのですが、少なくとも高卒以上の経歴はお持ちだと推察した私に非があります。意図に反して怒らせてしまい、申し訳なく思います。
本題ですが、貴方の回答には、よく理解できない点がたくさんあります。
まず、「国歌斉唱時に起立しないことが公共の福祉に当然反する」とおっしゃっていますね。何をどう考えたらそうなるのか、僕にはまったく分かりません。もしかして「公共の福祉」という言葉をご存知ないのでは?
第2に「教師は常識を教えるべきだ」と書かれていますが、それは教育の持つ些細な一面に過ぎません。これも「常識」だと思うのですが、教育の目的は、一般に「個性化」と「社会化」だと言われています。この2つはなかなか両立しがたいもので、そこにこそ教育の難しさがあるのです。だから授業拒否を主張する子供がいたとしても、そのことの是非を無条件に大人が押しつけるのではなく、子供の考えを我慢強く聞いてやりながら、あるべき方向へ導いてやらねばならないのです。「常識を教える」というのは、「社会化」の中の更に些末な側面に過ぎないのではありませんか? 「教育基本法」という法律がありまして、そこには日本の教育の目的のなんたるかが記されています。是非ご一読ください。→次に続きます。
第4に、知識・教養がないことをキヨタニさんがコンプレックスになさる必要性はまったくありませんが、社会の複雑な事象を考察するに当たっては、知識と教養がなければ正解を導きにくくなることは確かです。現に貴方は論理学を学んでいないのではありませんか? それを学んでいれば、「自分以外は人間ではない」式のおかしな理屈をおっしゃることはないと思います。特に今回の「不起立問題」は貴方の感じるほどに単純な問題ではありませんよ。法律、政治、教育、ナショナリズムなど、多くの事柄が複雑に絡み合った問題なのです。
第五に、スターバックスで、僕は貴方のおっしゃるようなことをしません。そのような貴方の推測は根拠薄弱であるばかりか、論理的飛躍のようにも思われます。なにしろ僕は、前のコメントでこう述べているのですから。喫煙問題と国歌斉唱時の不起立問題とは、同列に扱えないと。そもそも「法律」には、成文法だけでなく、慣習やマナーも不文律としての法源になり得るのです。これは大学レベルの一般教養なのでキヨタニさんはご存じないのかも知れませんが、それをわきまえている僕は「喫煙は法律で禁止されていない」などとは口にしません。さらには「嫌煙権」は判例では認められていないにせよ、公共の福祉の一助となるものと思われますので、僕はむやみに自分の喫煙権を主張したりはしません。そのことはこれまでの僕の論理展開をご覧になれば、容易に推察できるものと思います。→次に続きます。