「平和ファシスト・憲法ヒトラー」阿刀田高日本ペンクラブ会長の傲慢

 ぼくも所属する日本ペンクラブの会長が井上ひさし氏から阿刀田高氏に代替わりしました。変わらないのは自分たちの「平和教」を会員に押しつける傲慢さです。ヒットラーが去ったらスターリンが来たような気分です。

 9月の会報に阿刀田高新会長の挨拶が載っています。その中で
「平和憲法を守っていこう、と、これは日本ペンクラブが培ってきた緩やかな合意です。これに反対される会員が皆無だとは思いませんが、基本的にこの合意を拠りどころにして活動をすすめて行くことはゆるされるでしょう」
「せっかく理想に近づく憲法を持っている
とあります。

そんな身勝手が、許されるはずはないでしょうが。

 百歩譲って全会員で投票でも行い、その結果大多数が賛成すれば別ですが、なんとなく護憲派が多いらしいから、それを会員の総意にしましょうというですから、余り粗暴な論理です。民主的とはとうてい言えません。ヤクザもの論理です。
 ぼくはペンクラブは言論と表現の自由を維持と拡大がミッションだと思っていたのですがいつから安っぽい「活動家の集団」になったのでしょうか。

 これは自分たち「護憲派」だけが平和の使徒であるという十字軍的な思い上がりにすぎません。
 平和という山頂を目指すには色々なルートがあるはずです。「護憲派」の皆さんは敢えて一直線に頂点を目指すと言っていいでしょう。
 
 ぼくのような現実派は登りやすいルートを探し、ある時はベースキャンプを設営したりして進む。また既存のルートが駄目そうなら別なルートを探します。
ところが「護憲派」の人達はまっすぐ頂点を目指さない人間を「非国民、平和の敵」といいます。
 しかし実際にまっすぐに頂点なんぞ目指してもすすめっこないならその場で足踏みばかりしている。そこで「平和念仏」を唱えていれば頂点に進めると思っているわけです。

 自分たちの「イデオロギー」以外を認めない、それを会員に強要するというのはまるでナチスドイツような全体主義かソ連式の全体主義です。表現の自由を標榜する団体が、自分の団体の構成員に特定の思想を強制し、思想統制しているだから噴飯ものです。金正日が表現の自由を標榜するようなものです。


阿刀田会長はさらに、
誰もが平和を望んでいる故に「世界中から軍備をなくすこと、如何なる戦争にも荷担しないことこれが究極の理想です」
まるでこれが万人の理想かのように述べています。しかしそうではないでしょう。
 無論戦争などないに越したことはないでしょう。ですが、理不尽な戦争の被害にあっている人々は今現在でも多くいます。その状況から人々を救うためには武力、あるいは武力を背景にした説得が必要なことはあきかです。
 
 阿刀田会長はルワンダの内戦などケースでいくら虐殺が起こっても「戦争にも荷担しないこと=見殺しにする」ことが理想といっているわけです。独裁国家が近隣の何の落ち度もない民主国家を蹂躙してもそれは傍観すると。

 ぼくはこのような無責任な発言は容認できません。

 個人的な見解を述べれば、現在の日本国憲法は先の大戦で我が国に手を焼いた米国が我が国を非武装化し、保護国化することによって日本という国が米国に刃向かわないようにと押しつけたものです。

「平和憲法」は米国の軍事力という担保によってされてきたわけです。つまり「平和憲法」を墨守するということは好戦的な超大国アメリカに安全保障をゆだねるということに他なりません。つまりフランスに国防を依存しているモナコ公国のようなものです。
それが理想とは思えません。

 ぼくは戦後我が国が戦争に巻き込まれなかったのは日本国憲法があったからであるという事実は否定しません。だたそれは、アメリカに対して「あんたらが軍隊持つな、戦争するなという『死んだオヤジの遺言』のような憲法を押しつけからでしょ」と憲法を楯に軍事的なコミットメントを避けてきたからです。つまり「戦争するな、軍隊持つなというのは死んだオヤジの遺言=平和憲法でして」と逃げを打ってきたわけです。その面では評価はしています。

 ぼくにいわせれば「護憲派」こそ「米帝国主義」の走狗でしかありません。

 2000年に兵器見本市ユーロサトリでぼくの弟が株式会社ホビージャパン、「月刊アームズマガジン」特派員・福田隆にいきなり殴られて大怪我をしました。
 ぼくがこの事件がきっかけでペンクラブに入ったのですが、この件を当時理事だった小中陽太郎氏にぼくの入会の推薦者だった猪野瀬直樹氏のパーティの席で相談したところ「物書き同士のトラブルに会はコミットしない」といわれました。
 
 この件でぼくの弟に落ち度はなく、福田が一方的に殴りかかってきたにもかからわです(その場の証人の証言は民事訴訟で提出しています)。福田はかねてからぼくにねちねちと嫌がらせをおこなってきました。
 取材の場で福田の行為は競合相手(ぼくは彼と自分を同列だとは思っていませんが)に対する暴力による威嚇と考えるのが妥当でしょう。でもペンクラブは知らぬの半兵衛でした。

 このことから察すると現在の日本ペンクラブは「平和、平和」とマクロな平和というテーマでお祭り騒ぎはするが、ミクロな個別の暴力に対する対処はしないというのでしょう。

つまり口先だけであると。

 小中氏の主張がペンクラブの見解であるならば、たとえばの話ですが、ぼくが阿刀田氏をぶん殴っても、ペンクラブは「物書き同士の諍いである」とコミットしないのでしょう。どっちもどっちであると。

 更にいえば「平和、平和」とはしゃぐよりも代用監獄の解消や報道被害の解消、検察による密室の取り調べによる冤罪、さらにはどこぞの文筆家団体の前会長のような家庭内暴力などもっと身近なら問題をとりあげるべきでしょう。

 ところがそういう地道で大変なことはやりたくない。単に「平和念仏」のお祭り騒ぎをしたいのいうのが現在のペンクラブの主流でしょう。これでは日本変クラブです。
 ですからまともな物書きは会合に参加しなくなる。益々「平和原理主義者」の声がつようくなるという困った状態です。

そもそもペンクラブの憲章には、
P.E.N.は、各国内およびすべての国の間で思想の交流を妨げてはならないという原則を支持し、会員たちはみずからの属する国や社会、ならびに全世界を通じてそれが可能な限り、表現の自由に対するあらゆる形の抑圧に反対することを誓う。P.E.N.は言論報道の自由を宣言し、平時における専制的な検閲に反対する。P.E.N.は、より高度な政治的経済的秩序への世界が必要としている進歩をなしとげるためには、政府、行政、諸制度に対する自由な批判が不可欠であると信ずる。また自由は自制を伴うものであるが故に、会員たちは政治的個人的な目的のための欺瞞の出版、意図的な虚構、事実の歪曲など言論報道の自由にまつわる悪弊に反対することを誓う。

 とあります。阿刀田会長の主張がこの憲章に反していることは明確です。


阿刀田会長会及び私物化している役員達もには一刻も早い辞任を切にお勧めします。





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この記事へのコメント

abcd
2007年10月17日 21:03
守るのは「表現の自由と責任」だけでいいじゃん? 思想入れちゃ駄目でしょ。
ソクラテス
2007年10月17日 22:04
 しかし、清谷はんはもっと別のやりかたがあるのに、摩擦をおこすのでなく、
たらしこんで味方にして体制をかえていくとか、北風ばかりだから反動も強い。

 たしかにたかりの構造維持派勢力というのはいて、本当に何とかしてくれないか、アメリカの核の傘に守られながら、
何も考えず平和ボケしてきた世代が現状維持したいんでしょうが、冷戦構造がおわり、大国だらけのパワーゲームの中で本当にこのままでいいんだろうかとは思います。
とーりすがり
2007年10月17日 23:24
そんな団体に、わざわざ居続ける意味って何?さっさと脱退すればいいのに。
とーりすがり
2007年10月17日 23:25
そんな団体に、わざわざ居続ける意味って何?さっさと脱退すればいいのに。
とーりすがり
2007年10月17日 23:25
そんな団体に、わざわざ居続ける意味って何?さっさと脱退すればいいのに。
とーりすがり
2007年10月17日 23:26
↑の重複は操作ミスです。済みません。
石友
2007年10月18日 01:03
キヨタニさんだけでも改憲の必要性を世に訴え続けてください。
言論界が護憲派一色になるなんてのは悪夢以外の何物でもありませんので。
陰ながら応援しています。
きるすてん
2007年10月18日 05:21
阿刀田氏は作家としては悪くないのですが・・・「新トロイア物語」や「獅子王アレクサンドロス」などは時代を超えて読み継がれる傑作だと思います。
 これは井上ひさし氏にもいえることですが、芸術家として優れている人が人間ととしても高潔な人格を持った立派な人だとは限らないということなのでしょう。
 困ったことにご本人やその信者たちには、自分はあるいは我らがセンセイは大芸術家である上に高潔な人格をもったもったパーフェクトな存在なんだと信じ込んでいる人が多いんです。
 私の古い知人にオオエ大先生の偽善者ぶりを著書の中で完膚なきまでに批判しつくした谷沢永一氏に電話でストーカー行為を繰り返していた者がおりますが、自称人格者の芸術家やその信者には本当にこういう輩が多い。
 言論界が護憲一色になることはもう無いと思います。護憲を選挙のたびに訴えている政党があのザマですから。
クマのプータロー
2007年10月18日 11:44
「日本ペンクラブ」と表記してしまうから可笑しくなるのでは?

憲章にも「P.E.N」となっているから、P、E、Nに適当な単語を充てると良いかもしれません。

Pはpeaceで間違いないようですが・・・。
Tammy
2007年10月18日 16:18
弟さんは災難でしたね。
海外での事件だと大怪我するような傷害事件でも刑事告訴はできないんでしょうか?
属人主義をとっているのであれば、被告が国内にいれば可能だと思うのですが。
Tammy
2007年10月18日 16:25
連投すいません。
基本的に「平和憲法」なんていう馬鹿は信用できないですね。
どこの国の憲法ですか、それは。我が国の憲法なら日本国憲法といいます。
ようするにレッテル貼りなんですな。平和憲法を変えようとするやつは平和の敵である、と。
日本共産党も平和憲法といってますが、こいつらは日本国憲法を守れ、というと、その発布に反対した唯一の政党がなに言ってやがると散々突っ込まれたからだそうです。
石友
2007年10月18日 16:45
戦後、間もない頃の日本共産党は改憲派だったのに今じゃ時代錯誤の護憲政党ですからね。
よくネット上で日本共産党はマトモな政党だとか言っている輩がいますが、一体、日本共産党のどこがマトモなのか全然分かりませんし、分かりたくもありませんね。
2007年10月18日 23:47
まともな大物を神輿にして
新日本ペン倶楽部
とかw
シロ
2007年10月19日 13:58
>つまり「平和憲法」を墨守するということは好戦的な超大国アメリカに安全保障をゆだねるということに他なりません。

安全保障をアメリカに委ねるということは、事実上日本の暖簾をアメリカに渡したに等しいと護憲派は理解していませんね。つまり9条を持っている限り、日本はアメリカのいいなり国家にならざるおえないのですが。軍隊を持つ目的は「ほかの国にいいなりにならない」ためですが。
「平和憲法を守れ」「アメリカのいいなりになるな」という二つの主張が自己矛盾しているなど到底想像できないらしい。
ところで護憲派って、もし日本が中国の併合されたりしたら、どうやって憲法を守るつもりなのでしょう?
ソクラテス
2007年10月19日 15:35
 そこまで考えてないんですよ、平和平和といっとけば平和なんですから。

 諸外国の情報収集を怠り、諸外国に媚を売ってはたかられる構造なんですよ。

 たかられる構造を維持したい。今のほうが楽なんでしょう。
きるすてん
2007年10月19日 18:15
 護憲派は駄々っ子ですから。「今の日本はアメリカの植民地だ!」「江戸時代の加賀前田家と同じだ!アメリカ幕府に貢ぐだけの外様大名だ!」とのたまわれる。「米国の奴隷でなくなるためには憲法を改正して米国の力を借りなくても自国くらい守れるようにならないと駄目ですよ」と言ってあげると火病を起こす。「そんなことしたら徴兵制が復活する!再び侵略戦争をやる国になってしまう!中国も韓国も北朝鮮も彼らの要求を日本が全部受け入れていれば絶対に攻めてなんかこない!そもそも国内に米軍基地なんかあるのが悪いんだ!奴らが日本から出て行けば全ては丸く収まるんだ!」ですからね。中宮崇さんではありませんが、彼らは厚生労働省が隔離・集中治療をしてあげないと駄目な重病人なのかもしれませんね。
2007年10月19日 19:47
理想と現実は、ギャップがあるので、その狭間を埋めるのは、大変ですね。
へろ
2007年10月19日 19:49
>つまり「平和憲法」を墨守するということは好戦的な超大国アメリカに安全保障をゆだねるということに他なりません。
護憲論者には在日米軍に批判的な人も多いですがね。まあ、日本のような地理的条件と経済基盤が存在して軍隊という抑止力が存在しないと、日本が大変なことになるのに。
2007年10月19日 23:26
平和への道はひとつ。らしいです。
こんなことだから若い会員が増えないわけです。ぼくですらもっとも若い部類ですから。
シロ
2007年10月21日 10:31
ソースは、忘れましたが、西洋にはこんな格言があるそうです。「羊が菜食主義者であると決意したからといって、狼がその決意に同意したわけではない」。日本は、戦後羊になることを余儀なくされましたが、日本の周辺には仁義無用の狼たちが、涎をたらして跋扈している現実にいつになったら、護憲派はきづくのでしょうか?
2007年10月22日 23:56
シロさんの
>「羊が菜食主義者であると決意したからといって、狼がその決意に同意したわけではない」
名言ですね。日本文化にはそぐわなかったので生まれようもなかったような格言ですね。勉強になります。
土門見人
2007年10月27日 18:38
 阿刀田や井上のような輩が、戦時中は「聖戦完遂!」とか「一億一心!!」とか絶叫して、同調しない者を「非国民!!!」と罵倒していたんでしょう。生まれる時代を間違えたとしか言いようがない。
 また時代が変われば、その時流に乗ろうとして、全く正反対の主張をして恥じないに違いありません。
2007年10月29日 16:12
具体的な行動をするつもりもない連中がシュプレヒコールを上げているだけです。
それで言論の自由が守られれば苦労はしないのですが。
イノウエ
2010年06月18日 08:59
googleから阿刀田高で検索して来ました、この日本ペンクラブと言う組織は、思想的には全然中立じゃないね、憲法9条や共産党が見え隠れする、そして、言論の自由を自分達の都合の良いように振り回してる、例えばヘタリアと言う国を擬人化するアニメが韓国人によって中止に追い込まれたときに(このアニメに韓国は出てこない)日本ペンクラブは言論の自由を守れ、圧力に屈するなって言わなかった、自分たちに都合の悪いことは黙殺する、
まだアメリカのACLUの方が、筋を通してるだけ好感が持てる
阿刀田高さん(日本ペンクラブ)ダブルスタンダードって知っていますか?
noga
2011年01月10日 07:13
自由とは、自己の意思の自由である。
自己に意思がなくては、自由にも意味がない。
日本人には、意思がない。
意思は、未来時制の内容である。
日本語には時制はなく、未来時制もない。

ボランティアとは、自由意思の人である。
我が国の志願で出てくる人とは、どこが違うか。
「ボランティア活動を強制してはいけない」と言ってその普及を反対する人がいることからしても、我が国においては、意思そのものの把握が不十分でることがわかる。

自主・独立 (independent) とは、英米人が子供を褒めていうときの言葉である。
自分が必要とするものは、自分自身の才覚により手に入れるのが大人の態度である。
自分の欲するものを大きな口をあけながら他人にピーピーとねだるのは、雛鳥の態度である。自分がまだ雛鳥の段階であれば、これは仕方のないことである。
独立に必要な軍備を他国にピーピーとねだる国民も子供じみた態度であることに変わりない。自国がまだ未熟な段階であれば、これは仕方のないことである。

意思のない人たちが自由意思の大切さを語ることも難しく、意思決定を行うこともまた難しい。
ともすれば、意思の自由は恣意の自由 (自由のはき違え) と間違えられ、意思決定はどこまでも先送りにされている。

「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という内容であるが、その決意を裏付けるのに十分な自己の力を示すことがないのであれば、その高邁な文言もまた空理空論以外の何ものでもない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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