【朝日社説】朝日は犯罪者を何故庇う、君が代判決 教育に刑罰は似合わぬ

 昨日のブログの元教師が卒業式を妨害した件に関して昨日の朝日新聞の社説はこの男を擁護する論を展開しております。

 つくづくこの新聞は扇動的な犯罪者に甘いと思います。

 この社説をかいつまめば、たかだが卒業式を妨害したぐらいで、実刑を要求するのは過大である、ということです。
 少々引用してみましょう。

「判決は元教師の言動について『威力にあたり、相当な手段とはいえない。現実に業務妨害の結果を生じた』と判断した。そのうえで、卒業式の妨害を直接の目的としておらず、妨害は短時間で、式はほぼ支障なく実施されたことを考え、罰金20万円という刑を選んだ」
「検察の求刑は懲役8カ月だった。その落差は大きい。裁判所もさすがに検察の求刑は度外れていると考えたのだろう」
 
 ぼくは裁判所の判断は甘すぎると思います。彼ら左翼思想にかぶれた独善的な教師、或いは元教師は自己の価値観こそ至上であり、それに反論するものは敵である。と一種過激な新興宗教などと軌を一にする思想に凝り固まっています。

 教師にとっては「たかが」のルーティンワークでしょうが、生徒、親にとっては一生に一度の卒業式です。それを元の「恩師」がヤクザのような言いがかりをつけて、妨害したのです。
 ヤクザの言いがかりでわるければ、元生徒達のまえで粗末なイチモツをしごいて恍惚と自慰に耽っておったわです。

 こういうルールを平気で無視する破廉恥な輩を野放しにておれば。公教育の現場が荒れるわけです。ぼくはこのような輩は比喩ではなく「銃殺」にすべきだと思います。それが無理ならば年金、退職金などを召し上げるべきです。

 何故ならタダの与太者が式を妨害したのではなく、れっきとした元教師が元の職場を荒らしたのです。現役の教師、生徒に示しがつきません。
 軽い刑で済ませたのであれば彼らに「ああ、あのくらいのことをやってもあの程度の罰で済むのか」というモラルハザードを生むでしょう。教育上まことにもって宜しくない。

「この背景には、全国でも突出している東京都教委の国旗掲揚と国歌斉唱への徹底ぶりがある。こうした動きに疑問を持った元教師は『都教委が度を越していることを知ってほしかっただけだ』と話していた」

 背景に何があろうと、この男のとった行動は犯罪であり許容できるものではありません。それに過去何度も述べてきましたが、自国の国旗国歌に敬意を払うのは当然です。それができないものは他国の国旗国歌にも敬意を払うことができないでしょう。 

「元教師の行為は批判されてしかるべきだ。式の前とはいえ、式場で保護者に呼びかければ、混乱が起きるのは目に見えている。保護者が式場に入る前に声をかけるといった方法をとれなかったのか」

 ここで朝日社説の様式となっている「であるが、しかし」がでてきます。一応この元教師の行動を諫めてます。まっ、ポーズですが。
 本当に悪い奴だと思っているならば部分が、社説の冒頭にくるはずです。

「しかし、だからといって、暴力を振るったわけではなく、起訴して刑事罰を科さなければならないほどの悪質な行為だったとは思えない。まして、懲役刑を求めた検察の見識を疑う」

朝日の論説員の方々には分からないかもしれませんが、世の中には暴力よりたちの悪い、あるいは悪質な犯罪はあるわけです。時に人は暴力よりも言葉や立ち振る舞いによってより深く傷を受ける場合もあります。
 物理的な破壊より、メンタルな面での破壊行為がより深刻であるばあいもこれまた多々あります。まあ、どこぞの新聞みたいにありもしない教科書書き換えをかき立てて、世論を惑わし国益をそこなうというのもそのひとつです。

 卒業式を元教師が妨害したということは由々し問題だと思いますが、朝日新聞社は刑事罰を科すほどの悪さではないと主張しているわけです。
 これが朝日新聞の法意識なのでしょう。自社の社員がインチキのインタビュー記事をでっち上げても、別にいいではないかという会社ですから。いえ、小泉首相の靖国問題に対する記事をめぐって同僚を暴力世って沈黙させた記者がなんら刑罰を受けていなのいにだからそれが朝日の常識なのでしょう。
 社長の息子がクスリで捕まったが暴力行為があったわけでもなく、刑事事件にされたのは人権侵害だとでも言いたいのでしょうか。

 そうやってマスメディアが問題教師を甘やかすからクズ教師(人間としてもクズ)なんですが)のうのうと学校に居座り、不法行為を続けながら税金で禄をはんでいるわけです。
 そしてぼくも含めて多くの国民がそのクズ教師という災難に見舞われているわけです(もっともぼくように何十年かかろうとクズ教師に報復を行う人間は少ないでしょうが)。

「この問題は、卒業式に出席していた地元の都議が都議会で取り上げたのがきっかけだ。都教委が法的措置をとることを表明し、高校が警察に被害届を出した。これを受けて警察が元教師宅を捜索し、東京地検公安部が在宅で起訴した」

 つまり加害者は被害者であると。で、被害者側を悪者にしたてるわけです。こういうのをペンの暴力というわけです。
 その理屈であれば、赤報隊も唯我独尊で「ペンの暴力」をふるう朝日新聞に対して、対抗手段を持たない市民たちのやむにやまれぬ、ささやかな抵抗をおこなったわけで赤報隊のほうこそ被害者である、という論理もなりたちます。

 「外からやって来て卒業式を妨害する者はただちに警察に突き出すしかない。それが都教委や高校の論理だろう。
しかし、教育のプロである教育委員会や高校が、学校で起こった問題をすぐに捜査機関に委ねようというのは安易ではないか。そうした教える側の態度は、生徒の目にはどう映るだろう」

 生徒の目にどう映るかって? 生徒達は犯罪者が法で裁かれる。その実地教育を受けたわけです。そこにどのような不都合があるのでしょうか。
 朝日新聞社ではそとからやってきた人間に業務を妨害されても警察を呼ばないのでしょう。いやあ、ご立派。赤報隊の一件で社内に警察権力を、招き入れたのは気の迷いであったと。

「元教師のような行為を二度と許さないというのなら、相手とじっくり話し合って解決の道を探ることもできるはずだ」

 あのねえ、世の中、言葉では説得できないことの方が、多いの。特にこの手の狂信者は尚更なの。ウソだと思うなら産経やら読売の読者を「ジャーナリスト宣言」の力でもって根こそぎ朝日の読者にして見せて欲しいものです。

 おそらくは朝日新聞は自社の編集方針に反対する読者が、築地の本社に押しかけて、社長を出せと座り込んでも、警備員がつまみ出したりせずに、社長がお出ましになりないし、論説員とかしかるべき地位の方がお出ましになり、「じっくり話し合って解決の道を探」ってくれるのでしょう。

「本来、教育にかかわる問題が刑事裁判の法廷に持ち込まれることは望ましいことではない。今回の判決で、その思いを新たにした」

 求刑が懲役だったのが罰金刑だったから俺は事実上無罪、そう開き直るやからとどう話し合うのでしょうか。
 そういう寝言をいっているから大学紛争があれだけもめたわけです。当時既に自治機能を失っていた大学に自治機能を求めること自体ナンセンスです。学校内ならば犯罪行為そのものを行っても警察につかまらないし、刑事罰も受けないという状況が、その後長らく大学が極左暴力集団の温床となってきわわけです。
 これはメディアの責任大です。

 また多くの教師が不法ストを行い、また授業においては教育基本法を無視し、いちじるしくイデオロギーに偏ってアジテートを授業中に行ってきました。またこれら犯罪者を日教組は容認し、支援してきました。
 朝日新聞はこのような集団的、かつ確信的な集団犯罪をとがめることはありませんでした。つまりこれまた新聞が犯罪者を増長させてきわけです。

 近年朝日新聞が発行部数を減らしているのは読者が口当たりのいい「リベラル」のインチキに嫌気がさしてるからでしょう。



 
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

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