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zoom RSS シェル・エルム・シェイクの思い出

<<   作成日時 : 2005/07/26 00:03   >>

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エジプトのリゾート、 シェル・エルム・シェイクでテロがありました。
  実はその昔、90年のことですが、仕事半分、遊び半分でエジプトにいっきました。そのとき、シェル・エルム・シェイクにもいきました。
 当時はリゾートと呼べるシロモノではありませんでしたが、それなりに楽しんできました。

 エジプト、かつてこれほど、カルチャーショックを受けた国はなかったです。イミグレの前にはホテルの客引きがたむろてるし、イミグレのスタンプの日付は間違っているし、凄いところに来ちゃったもんだ、と思っいました。どいつもこいつも嘘をつく、日本製のボールペンの入手に異常な執着を燃やす。しかも、いい歳したガイドのオッさんが、自分の子供のような(ぼくのこと)にバクシーシをねだる。断ると泣き落としにかかる。

 ここは別な惑星だ。ホントウにそう思いました。

 反面なんか、憎めないんですよね。ですから、今ではアラブに行くのが苦になりません。
 さて、遺跡で有名なルクソールでは日本人のノーキョー旅行の一団とであった。
 「ロンドンから来ました」と自己紹介すると「日本語が随分お上手ですね」だって。ロンドンに日本人が住んでいるという発想が湧かんかね、ヲジサン。

 ルクソールで腹の具合が悪くなった。カイロで飲んだマンゴージュースで下したらしい。体調の悪いままバスで、紅海側の町にいきました。そこで一応医者から抗生物質を入手しました。
 そこから漁船のような渡し船で、シナイ半島の先端のシェル・エルム・シェイクを目指しました。
 紅海は比較的穏やかに見えたんですが意外に波が高い。

 乗客一同一大ゲロ大会で、みんなもう吐き出すものがない。あつまつさえ、ぼくは下痢便が続くし。 あ”〜もう殺してくれ〜、という状態でした。何しろ途中下車できませんからね、船は。でも目的地はまだ遙か彼方。
 くそ、もう二度と船なんぞに乗るモノか、と真剣に思いましたね。

 で、どうにかシェル・エルム・シェイクに到着、X検査や手荷物検査を受けて、自由の身に。当時はまだリゾートとして開発もされてなく、町というか集落には商店は雑貨屋が一軒でした。当時はまだ、いつ戦場になるかわからない状態でしたから、まともなリゾートなんぞであるはずもなかったんですね。

 目の前は海、背後は岩砂漠、それが当時のシェル・エルム・シェイクでした。

 とりあえず、雑貨屋にたどり着き、コカ・コーラを飲みました。
 ああ、これぞ文明の味、あれほど美味いコーラを飲んだことはありませんでした。
 あのときほど米国の物質主義に感謝したこともありませんでしたね。

 約していあったバンガロー式ホテルにチェックインし、海岸の珊瑚礁で遊んだりしてました。
 夜に、野外の椅子に座って星を見ながらコーラを飲んでいたら、ホテルのマーネージャーがやってきました。町の光がなく非常にきれいな星空でした。

  彼は意外にインテリでいろんな話をしってました。雑談の内に日本人の宗教の話になり、「オマエは仏教とか?」といわれたので、仏教と神道の二刀流だというと、「仏教ってのはどちからというと、哲学に近くないか?」というんで「ほう、あんたもそう思うか。おれもそう思うんだが日本でそいう話ってしないんだよね」とか話で盛り上がりました。こういう出会が度の醍醐味のひとつでしょう。

 2日後、バスで、ポートサイド経由でカイロを目指しました。 途中、何度も撃破されてそのまま晒された戦車やら、エジプト軍の陣地、塹壕などがやたらとありました。もっとも、そんなものを鵜の目鷹の目で探していた乗客はぼくだけでしたが。

 まあ、そのうちお金ができたら、いつの日かリゾートになったシェル・エルム・シェイク にいってみたいと思います。

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