日本学術会議はアカデミズムの北朝鮮

日本学術会議の新メンバーを巡って菅政権以来、政権と同会議の間では亀裂が埋まっておりません。

野党や主なメディアは学術会議側の肩をもって、「アカデミズムに政治が圧力をかけるな」と主張します。果たしてこれは正しいのでしょうか。

率直に申し上げれば学術会議の主張はファナティックなイデオロギーに凝り固まっており、その偏った主張をすべての学者に押し付けようとしている。そのやり方は北朝鮮や中共と同じです。
軍事研究をするのは人でなしのすることであり、すべての学者が軍事研究をするのを禁じるというのは狂っているとしか思えません。
自らが学問の自由を奪っておきながら政府に学問の自由を、というよりも自分たちのイデオロギーに賛同するカルトな学者を会員に選ぶことに口を出すなというのですから。

そもそも論ですが、日本学術会議は、自衛隊という実質的に軍事組織、暴力装置をヤクザな国家の下部組織です。一切の軍事に係ることを否定するのであれば学術会議に入るべきではないでしょう。また大学(私学も税金が投入されています)などの国のカネが入っている機関で働いてはならないはずです。

また軍事を否定しない国家、中国、米国その他の軍隊を持つ国からの留学生を受け入れてはいけません。特に中国やロシアからは駄目でしょう。もっと厳格にいえば軍事を否定しない国、軍事物資を輸出する国もアウトでしょう。当然ながらこれにはスェーデン、スイスなども含まれます。

このような傲慢に自分たちの「正義」を押し付ける日本学術会議あり方にはアカデミズム内部からの批判も出ています。



学術会議問題:迷惑な学者の「正義」の押し売り
衛藤 幹子(法政大学法学部政治学科教授)
https://agora-web.jp/archives/2048481.html?fbclid=IwAR2IBZvrF7in4br3D-bcwyYyZs55EMAizYnmwITNvWih-YO1WMC4Dlgf2zo

>私は憲法改正には反対だけれども、集団的自衛権には賛成だ。集団的自衛権反対の大包囲網のなかで、意気地なしの私はただ沈黙し、署名や集会に一切参加しないという消極的抵抗をするだけであった。
>私は戦争には断固として反対だし、私自身はそうした研究には関わりたくはない。しかし、全ての軍事的安全保障研究への非関与を誘導することには到底賛成できない。
>どのような研究に従事するのか、それは研究者個人の良心や倫理観の問題であって、学術団体で一律に決める問題ではないと思う。

>この学術会議の声明には「学問の自由の侵害だ」という反論が寄せられているが、当然だ。政権による任命拒否が「学問の自由の侵害」なら(私自身はそうとは考えていないが)、学術会議も研究者の研究の自由や機会を奪っていると言われても仕方あるまい。

>私が問題にしたいのは「学問の自由の侵害」ではなく、学界が自らの「正義」を絶対的なものとして他者に押し売りする点である。
>学術会議の声明は絶対平和を追求するのが「絶対的正義」であり、この声明に賛成しないのは不正義だと決めつける。安保法制反対もしかり。集団的自衛権を容認しないことこそが「絶対的正義」であり、どのような観点からであれ容認するのは許しがたい不正義だと容認派を徹底的に責めて、排斥する。その排斥の最たるものが、一国の首相を罵倒し、物騒な言葉で威嚇する行為であり、某大学の賛成派の学長の再任拒絶であったと思う。

>正義を掲げ、その追求に邁進することはおそらく良いことなのだろう。正義感の希薄な私も見習うべきのようだ。けれども、その正義は絶対的なものではなく、私の正義だという自覚を忘れず、暴走することのないよう戒めようと思う。暴走する正義ほど怖いものはないのだから。

学術会議声明批判
戸 谷 友 則〈東京大学大学院理学系研究科天文学専攻 
https://www.asj.or.jp/common/img/contents/activities/security/112-1_47.pdf

>「若者たちがどんな意見でも自由に議論する雰囲気」が今の天文学会にはない,というのは私も気になっていました.私の周囲の若手研究者に聞いたところでも,「多様な意見を認めないような雰囲気があるのが残念」という声がありました.この原因としては,まず第一に,学術会議という権威のある団体が,すでに明確な(そして一面的な)結論を出してしまっていること.さらに,学術会議関係者でもあるシニアで偉い先生方が,この方向で天文学会の意見をまとめようと盛んにご発言なさっていることがあげられるでしょう.


>学術会議という権威を背景に,意見を一つにまとめようという意識が過剰に表れた発言
が続けば,若手研究者が萎縮してしまうのも無理のないことでしょう.

>学術会議声明のうち,その最初のものは昭和25年のごく短いもので,結論としては「戦争を目的とする科学の研究には,今後絶対に従わない」というものです.
>しかし,続く昭和42年の声明でちょっとおかしなことになってきます.まず,声明本文
中の最後の結論は,昭和25年の声明とほぼ同じです.ところが声明のタイトルが,「軍事目的のための科学研究を行わない」という,本文には全く言及のない「軍事研究」についてのものになっているのです.どうしてこんなことになったのか,私には知るすべはありませんが,いずれにせよ,「軍事研究」はすべて「戦争が目的」という考えを前提にしているようです

>「いかなる軍事研究も禁止されるべきである」という考えが,現在の研究者あるいは一般社会の間で広くコンセンサスを得ているとは到底思えません.「軍事」と「戦争/平和」の関係はそう単純なものではないでしょう.
>戦争の惨禍が軍事に
よって生み出されるのは自明ですが,一方で,パクスロマーナの例を持ち出すまでもなく,平和を生み出し維持するうえでも軍事というものが大きな存在となっていることは,古今東西の人類史を見ても明らかです.

>現実を踏まえると,ある国で軍事研究が禁止されることが,果たして世界平和につながるのかどうかも怪しくなってきます.平和主義に基づいて軍事研究をやめてしまうような国があるとすれば,それは民主主義や人権が確立した「良い国」でしょう.そうした国々が軍事を放棄して,そうではない危なっかしい国々ばかりが軍備を増強するような状況が,人類にとってよいと言えるのかどうか.そもそも,日本という国はその安全保障をアメリカの軍事力に深く依存している状態であり,そのための日米同盟は重要であると考えている国民もかなりの割合にのぼります.そういう国が,平和主義に基づいて「軍事研究はやりません」と言ったところで,世界から尊敬されるとは正直思えません.

>で「軍
事」にどう向き合い,行動するかは,さまざまな意見があって当然です.一人の人にとっても,置かれた環境や時代状況によって判断は変わることでしょう.この問題に正解はないと思います.少なくとも,たかが学術会議ごときが短い声明文で正解を出せるような生やさしい問題ではありません.

>むしろ,意見の多様性が認められることが大切であり,無理に一つの結論を出して全体をそれに従わせようという動きこそ,戒めるべきではないでしょうか.「軍事研究はとにかく絶対いやだ」という人がいて当然ですし,そういう人に軍事研究を強制してはならないのはあたりまえです.一方で,人類の平和のために重要だと判断して,ある軍事研究を行うと信念をもって決断した人から,その自由を奪う権利は誰にもないと私は思います.

>軍事研究を一度許すと,エスカレートしてまた軍国主義に走るので,最初から止めるべきだという意見も聞きます.学問の自由を守るために自らを規制すべきだという主張です.そういう可能性はゼロではないでしょうが,仮定や仮説にすぎません.それを根拠にして,今,「この研究は軍事に関係するが,世界平和のためにプラスだと思うので自分はやると判断した」という人から強制的にその機会を奪うのでは,その時点で学問の自由を破壊しています.学問の自由を守るために自ら学問の自由を破壊するのでは,つまらない冗談に
すらなりません.

>天文学を含む基礎科学が盛んな西側先進諸国の多くも,軍事を否定していませんが,それで研究者の自由が奪われているという話は聞きません.少しでも軍事研究を許せば必ずエスカレートして自由が失われるというような言説には,私は説得力を感じません.
結論として,「いかなる軍事研究もしてはいけない」という考えをすべての人に要求するのはあまりにも一面的であり,すべきではないと私は考えます.

>学術会議声明の問題点は,多様な意見がありコンセンサスが全く得られていない問題に
対して,強引に一面的な結論を出してしまった点にあります.「軍事研究はしない」という声明の主語が学術会議会員ということであれば私が文句を言う筋合いのものではありませんが,主語は「日本の全ての研究者」を意図していることは明らかです.学術会議は日本の研究者コミュニティの中で最高の権威をもつともいえる団体です.そ
のような団体がこうした声明を出すことは,すべての研究者にそれを強制するようなプレッシャーを与えます.厳格な強制力はないかもしれませんが,世間はそのようにとらえ,実際にマスコミなどでも「学術会議は日本の研究者に対して軍事研究を禁止した」といったニュアンスで報道されています.


>平成29年の学術会議声明は,過去の声明を踏襲すると宣言しただけでなく,さらに大きく踏み込んで,審査制度やガイドラインの作成を大学や学会に求めています.過去のお題目的な声明を越えて,「軍事研究を行わない」ことをすべての研究者に実効的に徹底させる動きと言えるでしょう.
>これを受けて,すでにたいへん気になる事例が発生しています.報道されているとおり,北海道大学では学術会議の意向に配慮して防衛省の研究助成への応募を辞退すると決定しました.これにより,これまで同大でこの助成を受けていた研究者が,助成を受けることができなくなりました.
>私はこのニュースに接し,非常に恐ろしいものを感じました.学術会議という団体が声明を出しただけで,大学や学会が萎縮したり忖度してしまうことで,研究者個人の自由が簡単に奪われてしまうということです.

>学術会議の声明を素直に読めば,学術会議はすべての研究者に対し,この制度には応募しないことを求めており,従わない人は審査制度によって縛るということです.政府や防衛省などより,学術会議のやっていることのほうがよほど常軌を逸しています.一つの団体が権威をもって特定の考えをすべての人に押しつけ,その自由を拘束するというのでは,戦前の軍部と変わりません.

>た極端
に理想的な平和主義は,やはりイデオロギーと呼ぶべきものでしょう.国際的に浸透しているとは言いがたいし,国内でも世代が変われば大きく意見が変わる状態です.個人としてどのようなイデオロギーを持とうが勝手ですが,すべての人に一つのイデオロギーを押しつけ,従わない人は審査制度を作って取り締まれというのは,私には「戦前の裏返し」にしか見えません.

>学術会議の外の人間は選出には一切関わることはできないということです.これでは,一部のシニアで偉い先生方の仲良しクラブと変わらないと言わねばなりません.学術会議は,組織上は内閣府の元に置かれ,国の予算で運営されていますが,政府から独立して活動することが日本学術会議法で保証されています.実体としては私的なクラブのようなものが,国の公的機関というお墨付きによる権威を付与されているとも言えるでしょう.な

>なお歴史的には,かつては学術会議の会員選出制度は,研究論文があるすべての研
究者から選挙で選ばれる,民主的なものであったそうです.

> .学術会議ホームページでは,「わが国の科学者の内外に対する代表機関」を自称していますが,少なくとも日本の研究者コミュニティの民主的な代表とはかけはなれたものです.政府下の機関としての正当性は主張できるかもしれませんが,そこに正当性を求めるのなら,そもそも国が始めた防衛省の研究助成制度について,学術会議が研究者に応募しないよう圧力をかけるのも奇妙な話になってしまいます.
平成29年学術会議声明は,防衛省の研究助成について「政府による研究への介入が著しく,問題が多い」と指摘しています.ですが,少なくとも政府は国民の選挙を通じて民主的に選ばれた正当性をもっていますし,何より,この制度に応募しなければ介入されることもありません.一方で学術会議は,民主的に選ばれたという正当性がないにもかかわらず,すべての研究者に対して「この制度に応募すべきでない」という干渉を行っていることになります.

>このように非民主的で閉鎖的な組織が,日本の学術界で最高の権威を持ってしまっていて,ひとたび声明を出せば大学や学会を萎縮させ,研究者の自由が容易に奪われてしまう.これは大変深刻な問題であるというべきではないでしょうか.学術会議が暴走したとき,研究者個人の自由と権利をどうやって守っていくか.軍事研究の是非などより,こちらのほうがよほど緊急の議論を要する問題であると,私には思えるのです.

>学術会議で審査されるような大プロ
ジェクト計画を推進している研究者がいて,その研究者が学術会議の安全保障研究に関する声明に反対意見をもっていたとしても,堂々と声を上げることができるでしょうか? 学術会議に睨まれてプロジェクトが不利益を被る可能性を考えると,難しいでしょう.

>学術会議は,われわれが選挙で選ぶことができないにもかかわらず,強力な権限をもっています.独裁国家の政府を批判するのと同じく,学術会議に対して批判の声をあげるのは勇気のいることです.私も本稿を書くうえで,大きな覚悟と決断が必要でした.
以上の考察を踏まえ,私は一研究者として学術会議には以下の点を要求したいと思います.
(1)「軍事研究は行わない」という文言を声明から速やかに撤回すること.
(2)一面的な結論を出した上に審査制度の要求を行ったことで,研究者の自由が縛られ始めていることについて,真摯に反省を行うこと.
(3)学術会議の組織の民主化を検討し,その道筋を示すこと.

>平成29年の学術会議声明は,報道されている通り,声明案の検討委員会が学術会議総会での決議を求めていたにもかかわらず,総会を通さずに幹事会で決議されてしまうという経緯となりました.「総会で紛糾してまとまらない懸念がある」という意見が幹事会であったそうです(毎日新聞web版,平成29年3月24日).紛糾してまとまらないようなものはそもそも決議すべきでない,と考えるのが良識であると私は思いますが,こうい
うところにも学術会議という組織の体質が垣間見えます.


員個人の自由に任せるという選択肢がある問題について,多数決で決断し,すべての会員に同じ行動を強制することは,非常に危険なことです.「軍事研究を禁止すべき」という意見が多数派なら,すべての人に対して軍事研究の禁止を強要していいのでしょうか? それがまかり通るなら,その裏返しとして,「防衛研究に協力すべきだ」という意見が多数派になったとき,今度はすべての研究者に防衛研究を強制できることになるのではないでしょうか?


まさにお説の通りだと思います。こういうまともな意見が世にあまり出てこないのは不勉強あるいは、イデオロギー的に偏ったメディアが取り上げないからでしょう。

端的に申せば日本学術会議の幹部のメンタリティはヒトラーやスターリンと変わりません。自分たちの主義主張をすべての研究者に押し付けるのは全体主義、ファズムです。
ナチやソ連共産党と同じ、日本学術会議が研究の自由を吹聴するのは強盗が、悪事は移管と説教するようなものです。

"日本学術会議はアカデミズムの北朝鮮" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。