自衛官はサムライか?自衛隊の近藤勇症候群を憂う

自衛官はサムライか?自衛隊の近藤勇症候群を憂う

防衛白書の墨絵の騎馬武者の表紙が話題を呼んでいます。


ヒントは「SHIBUYA 109」…若い読者どう発掘? 女性スタッフ中心で作った防衛白書
https://www.fnn.jp/articles/-/209128

>これは新進気鋭の墨絵アーティスト・西元祐貴氏に制作を依頼したもので、白書の責任者である防衛省の石川武報道官は、「国をまもる躍動感かつ重厚感のある騎馬武者を表現することにより防衛省・自衛隊の力強さと、わが国の強固な防衛意志を表現した」と述べている。


>令和3年版の制作にあたっては、柳田夏実白書制作事務室長を始めとした30歳代の職員・自衛官6人が集まった。特筆すべきはその内、半分を超える4人が女性ということだ。

>柳田室長によると、「女性がマジョリティー」となったのは防衛省の歴史の中で初めてだという。

>なぜ騎馬武者に? 墨絵がいきるのは「曲線美」
一方で今回も「装備品を描いたらどうか」という意見が一定数あったという。

>しかし、躍動感が特長の墨絵では戦車や戦艦などの装備品だと、「曲線美」を表現できず、動物や人間の方が墨絵のダイナミズムが現れる。


個人的には問題だと思います。
自衛隊がサムライにアイデンティティを求めるのは危険だと思います。
自衛隊ではエンブレムに日本刀をあしらうなど、サムライが大好きです。

昭和の日本軍もサムライにアイデンティティを求めて、精神論に走って軍事的な合理的精神を失いました。その結果無駄に将兵を犬死させました。

その端的な例が「生きて虜囚の辱めを受けず」です。捕虜になるなら死ねというのは近代軍隊の合理性から外れています。ですが実際は捕虜になった将兵も多く、捕虜になったときの対処法を教えていなかったので、重要な情報をペラペラ喋りました。また敵の捕虜に対して侮辱した考えを持つために残虐な扱いをしたりもしました。

戦闘機に防弾板をつけると「命が惜しいのか」と責められたりもしました。ですが、年季の入った搭乗員を養成するのは時間も金もかかります。その搭乗員を使い捨てにしたので、搭乗員の平均的な技量が下がって戦果を上げる前に撃墜される者が増えました。

明治の軍隊ではかつてサムライだった軍人が多数おりました。彼らは西洋から学んだ軍人としての合理を尊び、それが日清日露戦争で発揮されました。

ところが昭和の日本軍では「サムライ」だった軍人はおりません。抽象的な観念でサムライ的なものを尊ぶ風習が熟成されました。それは軍隊の合理性から外れるものでした。結果精神論が横行して、無謀な作戦を行ったり、合理的な思考が「怯懦」と批判され、自ら負ける戦いに追い込んで行きました。

そもそもサムライと言っても、江戸時代のサムライと戦国時代、あるいは平安時代のサムライでは考え方も文化も違います。なんとなくイメージ上のあこがれのサムライ像を作って。それに妄想を膨らませたサムライに近づこうとすることは軍隊としては極めて危険です。
ぼくはこれを「近藤勇症候群」と呼んでいます。近藤勇は武士階級の出ではなかたので、なおさら武士らしくあろうと振る舞ったようです。

今回の白書のスタッフは若い女性が多かったようですが、どうしたら若い世代に受け入れるかという視点に偏りすぎたのではではないでしょうか。多少なりとも戦史を齧っていれば、サムライのイメージを使うことへの危うさを感じたはずです。


ただ対外的な宣伝と割り切って「サムライ」というイメージを確信犯的に使うのはありでしょう。例えばイラクに派遣した際にそういうイメージを使うのは成功といえるでしょう。
それを「方便」と割り切れる「大人の組織」であればいいのですが、取材する限り現実問題として安易にサムライ的なものに憧れる隊員少なくありません。

自衛隊が安易に空想的なサムライ精神に汚染されるのは軍隊とて極めて危険だと思います。

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