【思考停止】「核」論議 外相の答弁は不適切だ 【社説】2006年10月20日(金曜日)付
朝日が社説で麻生外相の核武装に関する発言を非難しております。
「なんとも危うく、不見識な発言だ。核兵器の保有に関する麻生外相の国会答弁は聞き捨てならない」
は~っ、未だにこういう人たちが多いのは困ったものです。
麻生外相は、
「隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」 「無知なままいくより、きちんと勉強した上で持たないというのも一つの選択だ」
などと述べております。中川政調会長も同様の発言をしております。
中川、麻生両氏の主張とは最悪の事態を考え、シミュレーション=頭の体操 をして、我が国が核武装をした場合、あるいは使用しようとした場合どうなるかを具体的に想像してみようといっているわけです。核兵器を持つべきだと主張しているのではないわけです。
議論をしてはいけない、というのは思考停止です。聖書やらコーランに異議を唱えれば死刑という一神教の原理主義者と同じです。
問題の解決を探る場合、タブーを設けない方が色々とアイディアが湧いてくるし、問題点も浮き彫りになるわけです。ですから企画会議のブレーンストーミングなどでは結構馬鹿な話しをします。みんなかしこまって社長の顔色をうかがったり、自社の社風やら社是やら気にしていたら画期的なアイディアなんか出っこありませんやね。
極端な設問を設定し、それを具体的に詰めていくと思わぬ問題点が見つかる場合もあります。核武装の場合、これをやることで核武装を行いたいという国の心理も理解できようというものです。
「軍事を知らずして平和を語るな」の中でも当然ながら核武装に関して述べております。
基本的にぼくは我が国の核武装に反対です。本の中で核武装論が如何に不毛かを書いております。
それは、具体的な事象を積み上げ、かつ実際に核兵器を開発し、装備する方法を具体的に想定したからそう言う結論が導かれたわけです。
自主開発するとしてどこで実験するんですか?
どこに配備するのですか?
これだけでも核兵器の開発が如何に不毛かわかりそうなものです。ところが核武装絶対反対と絶対賛成になると神学論争になります。
我が国の世論は極端から極端に触れる傾向がありますから、観念的な核武装反対論こそ核武装への道を開くものであると思います。
換言すれば朝日新聞みたいな世論に迎合をねらった「商業的平和原理主義」が戦争を起こすのです。
できるだけ具体的な議論を行い、論証を重ね、だから核武装というオプションはないよね、というコンセンサスを導き出すのが筋であると思います。
議論すること自体封殺して何が「ジャーナリスト宣言」ですか。なにが「言葉を信じる」ですか。そんな寝言いっているから広告まで減るんですよ。一般市民はこういう大新聞やら無責任野党の口から出ませをとっくに見抜いているのです。ですから麻生、中川両氏の発言でも大した問題にならなかった。これが20年前だったら辞職ものです。
ぼくは我が国に敵が上陸して来た、そういう状態を設定し、自衛隊はどのように行動するのをシミュレーションしてきました。その成果は過去の著作に色々と書いていますが、自衛隊が国民と国土を守るべく、まともな「軍事行動」を行うとことごとく法律を破ることになります。町中はおろか海岸に塹壕一つ掘れず、戦時においても通行料金を払わないと高速道路を通行できない、野戦病院があっても実際は設置できない等々。
少なくとも朝日新聞はこういう議論をしてきませんでした。メディアが観念論に終始してきたことが「有事に自衛隊が機能しない」という異常な状況が続いてきた最大の原因です。これが怠慢でなくでなんでしょう。
また賛成反対派両方とも核武装に関しては我が国だけを見てものを言うきらいがあります。我が国が核武装をすればそれは即ち、韓国やら台湾、フィリピンなんぞも核を持つようになるでしょう。核兵器は限りなく拡散していくでしょう。そのような世界が楽しいものでしょうか。
別な角度からみれば、核兵器の否定と平和憲法によって我が国が平和を保ってたきたという寝言も疑ってみるべきでしょう。
我が国が戦後戦争に巻き込まれなかったのはアメリカという世界最強の核戦力と通常戦力を持った超大国と同盟を結んできたからです。
平和憲法とやら、特に9条はアメリカの核戦力とセットなんですな、これが。
つまり我が国の平和は核兵器によって担保されてきわけで、あたしのお手手は天使の翼みたいに真っ白よ、なんて嘯くのは偽善と自己欺瞞以外の何物でもありません。
また核を保有したいと願う国は切実に核兵器がないと国が滅ぶと思っているたりするわけです。それはそれで一理があるわけで、そういう国に頭ごなしにだめなモノはダメと言っても説得できないでしょう。現実的に長いこと国連安保理常任理事国は核保有国でした。
アメリカはテロとの戦い前はパキスタンとインドを非難していましたが自分の都合で「お友達」になってしまいました。またイスラエルが核兵器保有国であるのは公然の秘密ですが、イスラエルに核査察をしようとか絶対言いません。
こういうの二重基準の下で、どのようにして潜在的核保有国に核開発を諦めさせたるこことができるでしょうか。
また、諸外国がなし崩し的に核武装をした場合、周囲から脅かされようが侵略されようが一人我が国だけ非核を貫くのでしょうしょうか。
個人的にはAIP式(非大気依存推進型エンジン搭載型)のミサイル潜水艦を建造し、「皆さんが核を持つのであれば、我が国も持ちますよ。唯一の被爆国である我が国が核武装をすると世界中に核兵器が拡散しましますが、よござんすか」という脅しに使えます。
カードがなければ外交で啖呵はは切れません。
こういった、色々な視点から物事を見た方が、より建設的かつ「平和的」な議論ができると思います。
http://www.asahi.com/paper/editorial20061020.html#syasetu1
軍事を知らずして平和を語るな―Issues on Japanese defense
「なんとも危うく、不見識な発言だ。核兵器の保有に関する麻生外相の国会答弁は聞き捨てならない」
は~っ、未だにこういう人たちが多いのは困ったものです。
麻生外相は、
「隣の国が(核兵器を)持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくのは大事だ」 「無知なままいくより、きちんと勉強した上で持たないというのも一つの選択だ」
などと述べております。中川政調会長も同様の発言をしております。
中川、麻生両氏の主張とは最悪の事態を考え、シミュレーション=頭の体操 をして、我が国が核武装をした場合、あるいは使用しようとした場合どうなるかを具体的に想像してみようといっているわけです。核兵器を持つべきだと主張しているのではないわけです。
議論をしてはいけない、というのは思考停止です。聖書やらコーランに異議を唱えれば死刑という一神教の原理主義者と同じです。
問題の解決を探る場合、タブーを設けない方が色々とアイディアが湧いてくるし、問題点も浮き彫りになるわけです。ですから企画会議のブレーンストーミングなどでは結構馬鹿な話しをします。みんなかしこまって社長の顔色をうかがったり、自社の社風やら社是やら気にしていたら画期的なアイディアなんか出っこありませんやね。
極端な設問を設定し、それを具体的に詰めていくと思わぬ問題点が見つかる場合もあります。核武装の場合、これをやることで核武装を行いたいという国の心理も理解できようというものです。
「軍事を知らずして平和を語るな」の中でも当然ながら核武装に関して述べております。
基本的にぼくは我が国の核武装に反対です。本の中で核武装論が如何に不毛かを書いております。
それは、具体的な事象を積み上げ、かつ実際に核兵器を開発し、装備する方法を具体的に想定したからそう言う結論が導かれたわけです。
自主開発するとしてどこで実験するんですか?
どこに配備するのですか?
これだけでも核兵器の開発が如何に不毛かわかりそうなものです。ところが核武装絶対反対と絶対賛成になると神学論争になります。
我が国の世論は極端から極端に触れる傾向がありますから、観念的な核武装反対論こそ核武装への道を開くものであると思います。
換言すれば朝日新聞みたいな世論に迎合をねらった「商業的平和原理主義」が戦争を起こすのです。
できるだけ具体的な議論を行い、論証を重ね、だから核武装というオプションはないよね、というコンセンサスを導き出すのが筋であると思います。
議論すること自体封殺して何が「ジャーナリスト宣言」ですか。なにが「言葉を信じる」ですか。そんな寝言いっているから広告まで減るんですよ。一般市民はこういう大新聞やら無責任野党の口から出ませをとっくに見抜いているのです。ですから麻生、中川両氏の発言でも大した問題にならなかった。これが20年前だったら辞職ものです。
ぼくは我が国に敵が上陸して来た、そういう状態を設定し、自衛隊はどのように行動するのをシミュレーションしてきました。その成果は過去の著作に色々と書いていますが、自衛隊が国民と国土を守るべく、まともな「軍事行動」を行うとことごとく法律を破ることになります。町中はおろか海岸に塹壕一つ掘れず、戦時においても通行料金を払わないと高速道路を通行できない、野戦病院があっても実際は設置できない等々。
少なくとも朝日新聞はこういう議論をしてきませんでした。メディアが観念論に終始してきたことが「有事に自衛隊が機能しない」という異常な状況が続いてきた最大の原因です。これが怠慢でなくでなんでしょう。
また賛成反対派両方とも核武装に関しては我が国だけを見てものを言うきらいがあります。我が国が核武装をすればそれは即ち、韓国やら台湾、フィリピンなんぞも核を持つようになるでしょう。核兵器は限りなく拡散していくでしょう。そのような世界が楽しいものでしょうか。
別な角度からみれば、核兵器の否定と平和憲法によって我が国が平和を保ってたきたという寝言も疑ってみるべきでしょう。
我が国が戦後戦争に巻き込まれなかったのはアメリカという世界最強の核戦力と通常戦力を持った超大国と同盟を結んできたからです。
平和憲法とやら、特に9条はアメリカの核戦力とセットなんですな、これが。
つまり我が国の平和は核兵器によって担保されてきわけで、あたしのお手手は天使の翼みたいに真っ白よ、なんて嘯くのは偽善と自己欺瞞以外の何物でもありません。
また核を保有したいと願う国は切実に核兵器がないと国が滅ぶと思っているたりするわけです。それはそれで一理があるわけで、そういう国に頭ごなしにだめなモノはダメと言っても説得できないでしょう。現実的に長いこと国連安保理常任理事国は核保有国でした。
アメリカはテロとの戦い前はパキスタンとインドを非難していましたが自分の都合で「お友達」になってしまいました。またイスラエルが核兵器保有国であるのは公然の秘密ですが、イスラエルに核査察をしようとか絶対言いません。
こういうの二重基準の下で、どのようにして潜在的核保有国に核開発を諦めさせたるこことができるでしょうか。
また、諸外国がなし崩し的に核武装をした場合、周囲から脅かされようが侵略されようが一人我が国だけ非核を貫くのでしょうしょうか。
個人的にはAIP式(非大気依存推進型エンジン搭載型)のミサイル潜水艦を建造し、「皆さんが核を持つのであれば、我が国も持ちますよ。唯一の被爆国である我が国が核武装をすると世界中に核兵器が拡散しましますが、よござんすか」という脅しに使えます。
カードがなければ外交で啖呵はは切れません。
こういった、色々な視点から物事を見た方が、より建設的かつ「平和的」な議論ができると思います。
http://www.asahi.com/paper/editorial20061020.html#syasetu1
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