人の振りみて我が振り直せ●読売新聞の「死ぬ死ぬ詐欺批判」の批判はメディアの驕り

 重い心臓病のため、米国での心臓移植を希望している東京都三鷹市の上田さくらちゃん(4)を支援する「さくらちゃんを救う会」の関連ホームページ(HP)などに9月以降、批判や中傷など匿名の書き込みが大量に寄せられている。

 救う会メンバーの携帯番号や、さくらちゃんの自宅の写真などが匿名投稿者によりネット上で公開されるなど、“攻撃”はエスカレート。顔の見えないネットの負の側面が露呈した。

読売新聞が例のさくらちゃん募金騒動の記事を掲載しております。難病の子供を抱えた両親が嵐のようなネット社会の言葉の暴力に苦しめられた、という論調です。

果たしてそれは事実でしょうか。

確かに「2ちゃんねる」上では誤報や誤報に基づいた非難もかなりありました。では新聞やらテレビで誤報に基づいた報道はないのでしょうか。TVのコメンテーターは「容疑者」を犯人と断定し、「こいつはケシカラン」などといった論評はしないというのでしょうか。

松本サリン事件は何だったのでしょうか。テレビは痴漢冤罪のサラリーマンが逮捕されたときに、警察、検察のリークに頼って裏もとらずに記事を書きとばしたことはないのでしょうか。

さて、今回の騒動で一番の「収穫」は『善意』の募金を疑ってみる、というリテラシーが発揮されたことです。すべてのことはまず疑え、これが情報の基本です。
かつて我が国は「反核運動」やら「反戦運動」など『善意』の運動を非難すると「非国民」とば
かりに、なじられました。つまり人類の悲願、とかいう錦の御旗に逆らう、あるいは疑問をもつのは人でなしというわけです。じつはこれは「言論封殺」です。幼少の頃からこのような胡散臭い運動に疑いを持っていたぼくは何度も嫌な目にあいました。

ところが反核・平和運動といいつつ、米帝の核は悪い核、ソ連や中国の核はいい核、という二重基準がありました。また人類の悲願であるはずの反核運動はイデオロギーの違いから分裂してきました。

つまり、「善意の運動」とやらは常に胡散臭い連中が自分たちの活動を政党化するために利用し、異を唱えるモノを魔女狩りにかけてきたという歴史があります。
善意を疑うのは人格が卑しいというのは思考停止です。
そういう観点からは「善意の募金」なるものを疑い、検証するのは結構なことではないでしょうか。

 果たして、目標金額の設定は妥当か、目的を以上に集まった金額はどうするのか、などといったことは募金する側も検証すべきです。

 良かれとおもって金やコメを恵んだら、それを転売して金にかけてミサイル作っている国家だってあるわけです。善意の募金が悪魔の活動資金になっておる事実が厳然として存在しているわけです。ODAなんかその最たるものでしょう。

マンガではたまに乞食をしておるおっさんが実は大富豪で、趣味で乞食をやっていたなんて話しがあったりもしますね。

個人的には50前後のNHKのプロデューサーとディレクターの夫婦、一人娘が4歳ですから、これまで、教育費もかからなかっただろうし、もっと貯蓄ないのかなあ。余計な詮索かもれしませんが、ずいぶん浪費なさっていたのではないでしょうか。それが悪いとはいいませんが。
 NHKの職員(それなりに出世する人たち)は結構両親が裕福だったりしますから、双方の実家からの援助はないのか。自宅をうれとはいいませんが、渋谷に通うならば別に三鷹ではなく、もっと近くの車の必要ない家を買うか、借りるかすればいいのでは、と思っています。

 また読売新聞では「自宅の『不動産登記』とされる情報などが、ネット上で公開」などと非難をしておりますが、不動産の登記なんぞは法務局に行けば誰でも閲覧、コピーできます。ある意味電柱に貼ってあるようなものです。そんなものを公開したことが非難されることでしょうか。問題があるとすれば登記簿を公開してる国の管理の仕方でしょう。

 それならば犯人かどうかも分からない被疑者やら犯罪被害者の顔やら自宅の住所を公表し、朝から晩までストーカーのように待ち伏せて関係者にコメントを強要するメディアの行為も慎まなければならないでしょう。

 
 かつてぼくは福知山線脱線事故の記者会で大声を出してJR側をつるし上げた読売新聞社の記者の氏名をこのブログで公表しましたが、読売新聞はその記者の言動に行き過ぎがあったと紙面で述べましたが、その記者の氏名を公表することはありませんでした(日本中に既に知っていわけで滑稽です。何せ直接ぼくのブログのアクセス数だけで11万以上ありました)。

 自分たちが取材対象に対して行う非人道的なまでの取材は棚に上げ、一般人が自分たちの「まねごと」をすると怒る、あるいは自分たちが取材の対象となると「人権」だの「プライバシー」なんぞを盾に非難するのが「社会の木鐸」の役目でしょうか。

 素人がショバを荒らするがウザイ、あるいは調査報道は自分たちの特権あるいは利権であると言いたいのでしょうか。


 更に読売新聞がこの件を記事にする事に関して疑問があります。読売新聞は完全な第三者とは言えないからです。
それはさくらちゃんの父親の賭け麻雀の件です。これは作家小林恭二のブログが発端となったようです。http://www.jali.or.jp/kbys/nikki/nikki24-j.html


「1月19日(日)
 午後5時より、NHKの未来潮流の打ち上げパーティーを我が家でやる。出席者は岡井隆(歌人)、青野聰(小説家)、柳瀬尚紀(英文学者)夫妻、小澤實(俳人)、林浩平(詩人、ディレクター)、高橋昌広(プロデューサー)の各氏及び林浩平の教え子の女子大生5人(なぜみんなこんなにかわいいのだ?)。
 てんやわんやで接待。
 最後は結局、青野、柳瀬、高橋、及びわたしの4人で、麻雀になる。レートは千点千円。しかも東風戦。どうなることかと思ったが結果は無難。しかも勝ち頭の青野氏が勝ち分を食料費だと言って、剛腹にも置いていってくれた。
深更ようやく解散」

 以上のような内容です。問題はこの小林恭二氏が「読売新聞」書評 の読書委員なのです。つまり読売新聞は小林氏に忖度するためにこの記事を書いたのではないかと疑いをもたれても仕方ないということです。
 
 優秀なる読売新聞記者がこの騒動で上田昌広氏の賭け麻雀もこの問題の一つの争点となっていことを知らなかったとは思えません。スペースの問題で記者がはしょったのか、あるいは整理で削られたかも知れません。ですが「李下に冠を正さず」の言葉もあるように、誤解を生まないような配慮を記事にするべきでしょう。

 ただ、個人的には賭け麻雀やら賭けゴルフぐらい大目にみれば良いのではないかと思っております(もっともあたしゃその手の賭けをやったことはありませんが)。
 
 しかしならが、公共放送機関であるNHK(しかも昨今金銭がらみの不祥事が連発)のプロデューサーが番組の打ち上げで賭け麻雀をやっている。
 そのネタ元がお仲間で、著名な作家のブログである。つまり信頼性が極めて高い。それがさくらちゃん事件を切っかけに多くの人の知るところとなった。

 これは「さくらちゃん」事件と切り離して追求べきが「報道機関」のあるべき姿だと思います。それとも難病の子供がいればすべての犯罪行為を不問に付すのが「報道機関」の温情というのでしょうか。
 
 であるならば、すべての取材対象者にその温情をもって接して欲しいと思います。

 因みに先ほどNHKに確認したところ、はじめに電話に出た女性は件の賭け麻雀に関しては関していないといい、その後そのような事実はないと断言したので、つっこみをいれると上司にバトンタッチ。女性の発言をわび、事実を追求すべきという声があることを上に上げるとい仰いました。

 つまりNHKはこれだけ世間で大騒ぎになっているにも関わらず、上田氏の賭け麻雀に関する調査は待ったく行っていない、こういうことになります。
 敢えてあれこれ申しませんがこれがNHKなる組織の体質なのでしょう。NHKが今後有名人やら政治家の賭博事件が発覚したときにどのような報道をするのか今から楽しみです。



「身銭切れ」心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061006it06.htm

JR西日本記者会見で罵声を浴びせたヒゲ記者の[正体] 読売新聞大阪本社社会部遊軍 竹村文之
http://kiyotani.at.webry.info/200505/article_29.html
潔くない読売のお詫び。何故に問題記者の氏名を伏せる?
http://kiyotani.at.webry.info/200505/article_31.html

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