ヒロシマってそんなに偉いんですか?<黙とう>甲子園で広島代表校が提案、高野連が制止

夏の甲子園大会の開会式の練習時、広島代表の高陽東が午前8時15分の原爆投下時刻を前、他の48チームの選手たちに黙祷を提案して、日本高校野球連盟の関係者から止められて、同校ナインだけで黙祷したそうです。

 激しく勘違いしてますね。高陽東の諸君
 確かに広島の原子爆弾の被爆は悲劇だったでしょう。ただ、第二次大戦で死んだのは広島にいた人間だけじゃないでしょう。東京大空襲にして多くの方が犠牲になりましたが、通常爆弾や焼夷弾で死んだ人間の死より原爆で死んだ人間の死の方が重たいとでもいうのでしょうか。

 前にも書きましたが、ぼくの両親の住んでいた北九州の上空が晴天であれば長崎ではなく、北九州に原爆が投下されていたはずです。
 ですから原爆による被害を他人事と片づけることはできません。それでも今のヒロシマ、ナガサキの反核運動を見ていると理性無き「反核原理主義」といったようなふうにしか見えません。

 確かに当時の被害者のみならずその子孫まで被爆による後遺症、で苦しんでいる方はいるでしょう。ですが、ヒロシマの犠牲者を追悼することだけが平和を考えること、なんでしょうか。

 戦争で亡くなったというならば、召集され、南方で戦死ないし、飢えや病気に苦しんだ兵士たちの死も同等でしょう。また、バンザイクリ-フから飛び降りたり、開戦当時フィリピンで現地人から虐殺されたなど日本の民間人の死も同等でしょう。

 更に言うなら、第二次大戦以外でも職業軍人を除いても、多くの国民が徴兵され、戦死、負傷してきたわけです。また戦争のとばっちりを受けて死んり殺されたりした民間人も多くいます。またチェルノブイリの被害者に対してヒロシマの人たちはこれらの人たちのために黙祷はしないのですか。

 ヒロシマの悲劇には黙祷するが、靖国神社の参拝はけしからんという人もいます。こういう考えをヒロシマの方々はどのようにかんがえているんでしょうか。

 また、「核兵器廃絶は人類の願い」と言いつつ、イデオロギーの違いで反核運動が二つに割れたのも理解できません。ケチなイデオロギーより「人類の悲願」の方が大切と思わないのでしょうか。同じ反核という思いを持った人たちが互いを説得できないで、核保有国をどうやって説得するのでしょうか。

 この国では原爆の被害についていささか情緒的かつ感傷的になり過ぎ、理性的に発言行動することが少ないのではないでしょうか。
 マスメディアもこの時期になると、これでもか、これでもか情緒に訴える報道やら番組を続けます。視聴率を稼いだり、読者の獲得にはその方が良いのでしょう。
 ですが、あれから60年、歴史的と言っていいほど時間も経過しています。もっと理性的に考えるべきでありませんか。

 単に人々の感情に訴えるだけで、センチメンタリズムに浸り合うだけでは世の中は変わらない。もっとあの戦争の原因、また経過、それからその後、また勝者と敗者の関係、「平和に対する罪」などについて事実を掘り起こし、理性的に事実を追求するべきだ。そう思うんですが。
 またそれが現在も世界中で起きている戦争や紛争の解決につながると思うんですが。
 そうでなければ、原爆を落としたから戦争が早く終わり平和になったと主張し、原爆投下を肯定する人たちに対して有効な反論はできないでしょう。

 ヒロシマだけが悲劇のヒーロー?思い上がるのも大概にしたらどうでしょうか。偏狭な被害者意識を拡大再生産することが平和につながると思っているなら度がしがたいアホウです。

(毎日新聞【横山三加子】) - 8月6日12時23分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050806-00000035-mai-soci

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