もう部活はやめてもいいんじゃないの?
教師の悲鳴が聞こえるか!? 日本の教員の勤務時間は海外平均の1.4倍
http://economic.jp/?p=39297
先月も恒例の夏の高校野球甲子園大会が行われました。
現在慰安婦問題でインチキ記事を書いてホッカムリしていた朝日新聞が世間で叩かれておりますが、あれだけ人権問題が大好きな新聞が戦前からの伝統とはいえ、軍国主義的な色合いを強く残している高校野球の全国大会を主催するのは極めて奇妙です。
ぶっちゃけた話、販拡の材料として、またネタが夏枯れする時期の埋草として便利だからという話でしょう。理念よりも経営、実利優先というところでしょう。
多くの体育会系部活では陰惨な新入生いじめや、教師による体罰が行われてきました。
その象徴が高校野球でしょう。
純真な高校球児なんてイリュージョンです。少女漫画で「君に届け」という野球児とブラスバンドの女の子の恋愛ものがありますが、アレはファンタジーですから。
「おらが郷土の誇り」なんてのもインチキです。強豪校は少なからず、あちこちから強い選手を引っ張ってきた「外人部隊」です。これを「アマチュア」といっていいんでしょうかね?
そんなに勝ちたければ、いっそキューバあたりからチームごと買ってくればいいでしょうに。
強豪校では合宿所という名の「兵舎」に野球部員というの「兵隊」を押し込んで旧海軍同様の月月火水木金金で練習という名の訓練に励んでおります。持っているが「ボートのカッター」か「バット」しか違いが無いような気がします。
そんなことだから体を壊す兵隊部員が続出します。一生スポーツができない体になる人間も少なくないでしょう。
そもそも学生の本分は勉学でしょう。
教師の本分も部活ではなく、勉学を教えることです。
部活動指導に熱心な先生方もおられますが、月月火水木金金の運動部の顧問やっていてまともな授業の準備とかできるんでしょうかね。
しかも野球や運動部の強豪校では本来勉学に使うべき予算を、運動部予算という軍事費につぎ込んでいます。そんなに予算を使いたければ部員だけで負担すべきです。
もう学校のリソースをつぎ込む部活動は止めるべきです。そんな暇があるならばお前ら勉強しろよ、勉強が嫌いで体動かすのが好きなら中学を出たらガテン系で働け、と。
就職して手に職をつける方が、野球部経由でFランクの大学にいくよりよほどましじゃないでしょうか。
部活を存続させたいならば顧問の教師は単に管理だけやらせて、実際の指導は外部のボランティアにでも頼めば宜しい。
教師は教えるためのスキルを学ぶべきです。ぼくが学生の頃でも、部活顧問は教えるのが下手な教師が多かったように思います。部活に入れ込んでいる教師はプロしての自覚が足りません。少なくとも土日の部活の練習は禁止にすべきです。
学校の運営と教職は分けて、教師は全員教えることに徹するべきです。
運動部に予算をかけるよりも、図書館や視聴覚設備などの充実など「本業」にこそカネをかけるべきです。
勉強を教えるよりも「趣味」の部活指導が好きな教師は学校を去るべきです。
でも、今の反朝日キャンペーンで、甲子園大会を中止にしろと主張する人はあまりいないのは不思議です。
東洋経済オンラインに以下の記事を寄稿しました。
結論ありき」で高額な兵器を調達する怪
防衛省概算要求に隠された問題<前編>
http://toyokeizai.net/preview/dd9c698dc49dbfafe1fdddad129294461604ead0
オスプレイの拙速導入は、安倍政権による濫費
防衛省概算要求に隠された問題<後編>
http://toyokeizai.net/articles/-/47070?page=3
フジテレビ、愛国報道の「異様な光景」
ジャパンエキスポは排他的なイベントではない
http://toyokeizai.net/articles/-/45401?page=2
コマツが防衛事業から撤退すべき5つの理由
取り組み姿勢が、キャタピラーとは対照的
http://toyokeizai.net/articles/-/45208
英航空ショー出展、中小企業「匠の技」とは?
盛んな商談、航空機ビジネスに食いこむ好機に
http://toyokeizai.net/articles/-/44434
新しい防衛航空宇宙専門サイトを始めました。
「東京防衛航空宇宙時評・Tokyo Defence & Aerospace Review」
http://www.tokyo-dar.com/
友人の サンドラ・へフェリン嬢の新刊です。
友人の林信吾の新刊です。
http://economic.jp/?p=39297
先月も恒例の夏の高校野球甲子園大会が行われました。
現在慰安婦問題でインチキ記事を書いてホッカムリしていた朝日新聞が世間で叩かれておりますが、あれだけ人権問題が大好きな新聞が戦前からの伝統とはいえ、軍国主義的な色合いを強く残している高校野球の全国大会を主催するのは極めて奇妙です。
ぶっちゃけた話、販拡の材料として、またネタが夏枯れする時期の埋草として便利だからという話でしょう。理念よりも経営、実利優先というところでしょう。
多くの体育会系部活では陰惨な新入生いじめや、教師による体罰が行われてきました。
その象徴が高校野球でしょう。
純真な高校球児なんてイリュージョンです。少女漫画で「君に届け」という野球児とブラスバンドの女の子の恋愛ものがありますが、アレはファンタジーですから。
「おらが郷土の誇り」なんてのもインチキです。強豪校は少なからず、あちこちから強い選手を引っ張ってきた「外人部隊」です。これを「アマチュア」といっていいんでしょうかね?
そんなに勝ちたければ、いっそキューバあたりからチームごと買ってくればいいでしょうに。
強豪校では合宿所という名の「兵舎」に野球部員というの「兵隊」を押し込んで旧海軍同様の月月火水木金金で練習という名の訓練に励んでおります。持っているが「ボートのカッター」か「バット」しか違いが無いような気がします。
そんなことだから体を壊す
そもそも学生の本分は勉学でしょう。
教師の本分も部活ではなく、勉学を教えることです。
部活動指導に熱心な先生方もおられますが、月月火水木金金の運動部の顧問やっていてまともな授業の準備とかできるんでしょうかね。
しかも野球や運動部の強豪校では本来勉学に使うべき予算を、運動部予算という軍事費につぎ込んでいます。そんなに予算を使いたければ部員だけで負担すべきです。
もう学校のリソースをつぎ込む部活動は止めるべきです。そんな暇があるならばお前ら勉強しろよ、勉強が嫌いで体動かすのが好きなら中学を出たらガテン系で働け、と。
就職して手に職をつける方が、野球部経由でFランクの大学にいくよりよほどましじゃないでしょうか。
部活を存続させたいならば顧問の教師は単に管理だけやらせて、実際の指導は外部のボランティアにでも頼めば宜しい。
教師は教えるためのスキルを学ぶべきです。ぼくが学生の頃でも、部活顧問は教えるのが下手な教師が多かったように思います。部活に入れ込んでいる教師はプロしての自覚が足りません。少なくとも土日の部活の練習は禁止にすべきです。
学校の運営と教職は分けて、教師は全員教えることに徹するべきです。
運動部に予算をかけるよりも、図書館や視聴覚設備などの充実など「本業」にこそカネをかけるべきです。
勉強を教えるよりも「趣味」の部活指導が好きな教師は学校を去るべきです。
でも、今の反朝日キャンペーンで、甲子園大会を中止にしろと主張する人はあまりいないのは不思議です。
東洋経済オンラインに以下の記事を寄稿しました。
結論ありき」で高額な兵器を調達する怪
防衛省概算要求に隠された問題<前編>
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オスプレイの拙速導入は、安倍政権による濫費
防衛省概算要求に隠された問題<後編>
http://toyokeizai.net/articles/-/47070?page=3
フジテレビ、愛国報道の「異様な光景」
ジャパンエキスポは排他的なイベントではない
http://toyokeizai.net/articles/-/45401?page=2
コマツが防衛事業から撤退すべき5つの理由
取り組み姿勢が、キャタピラーとは対照的
http://toyokeizai.net/articles/-/45208
英航空ショー出展、中小企業「匠の技」とは?
盛んな商談、航空機ビジネスに食いこむ好機に
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この記事へのコメント
あとは勉強するなり遊ぶなり様々な見聞を広めるなり、自分で考えて実行しろと言われているそうです。
それで充分だとわたしは思います。
ただこれって田舎の学校ではなかなか難しいんですよね。
田舎では学校の周りは田んぼしかない様な地域も珍しくない。
課外活動の選択肢が学校の部活しかないという子供達も多いんです。
一貫して「反部活」の記事を書いてらっしゃるので、一貫してそれに反対するコメントをしているドナルドです(笑)。
1:「勉強」の中に、部活動は含まれないのでしょうか?「座学」だけが勉強ではないし、「運動部」だけが部活ではありません。
もし「やり過ぎ」を懸念されているのなら、そこは賛成できますが、根本から「反部活」なのだとすると、部活で非常に多くのものを学んだものとして、反対です。
2:甲子園大会は、人々の勢い、元気を導きだし、野球に熱中する青少年を生み出している「光」です。
「光」は大切です。個々人の力は小さくとも、沢山の人々の運動量を一つの方向にまとめあげ、強力なうねりにするのは、こうした「光」です。
多様な価値観の人間が、多様に適当に生きている「だけ」の社会では、大きなことが出来なくなって、小さな成果ばかりとなり、何をやってもつまらない世の中になると「私は」思います(主観です。すみません)。
#多様な価値観を持った人間が、多様に生きることは、「全く」否定しません。同時に「光」も必要だということです。
ですから、「光」は大切に育て、維持してゆくべきです。光が歪んでいるなら、それをただすことから始めるべきです。むやみに否定するのは良くないと思います。
朝日がお嫌いなら、「甲子園協会」を独立させれば良いだけのこと。
つづく
3:一方で学校の部活負担が教員の負担になっているというのなら、その通りだと思います。
部活の整理も必要でしょうが、昨今は部活をしない学生も増えているし、学生一人当たりの教員も明確に増えている。
個人的には、なぜ、教員がそんなに忙しいのか、私には分かりません。原因は、部活ではなく、もっと別のところにあるのではないでしょうか?
仮説ですが、昔と比べて、無駄な書類仕事が膨大に増えたことが本質的問題なのではないかと、私は思っています。問題が起きたときに、「きちんとやっていました」という言い訳を作るための、無駄な書類が、昨今、なんと多いことでしょう。
個々の書類には、もちろん意味はあるし大事です。しかし、全体の仕事量を考えずに、何でもかんでも「改善」と称して仕事を増やし続けていれば、個々の書類の価値は下がり、本来の職務に悪影響が出て、本末転倒になります。「今」大切なものと、「必ずしも今じゃなくてよいもの」を、選別する力を失っている。新しい書類仕事を一つ増やしたら、代わりに別の書類をなくすべきなのです。
最後は脱線しました。。。(笑)
では。。
私の高校時代の同級生で、高校教師の者がおります。昨年、同窓会で部活の顧問について愚痴をこぼしていました。授業・教務関係、進路指導、校務、保護者対応、生徒指導で部活の指導・監督に体や時間を回せない。特に野球部の生徒は授業で爆睡という名の睡眠学習!成績は下位独占です。自分の母校で教師をしています。しかし、野球部優遇体質は自分が高校時代から疑問と不公平を感じていました。地区大会予選落ち、予算優先配分、結果出さないくせにでかいツラする。他の運動部から反感を買っていました。
清谷先生が主張する学生は勉学が仕事、教師は勉学を教えるのが仕事です。野球のスキルだけでは社会に出ても糞の役に立ちません。ただしプロ野球は除きます。同級生の教師の話に戻り、部活は教員の負担増になり、疲弊します。保護者や卒業生が指導すればこと足ります。又、学業と両立させるため赤点があれば練習停止、3回赤点だと退部という厳しい措置は必要だと思います。それが生徒の将来のためです。
このエントリーを見て、以前、見たアメリカ映画「コーチ・カーター」を思い出しました。
アメリカのハイスクールのバスケットボール部を題材にしたドラマですが、コーチのケン・カーターはOBで、教員ではありません。
また、このドラマの中で、コーチ就任時、バスケットボールの技術を教えるよりも先に、選手たちと、次のような契約を交わします。「学業で決められた成績以上を残すこと」「授業には必ず出席すること」「試合の日には正装すること」。これを守らない者は試合に出さないというカーターに生徒は反発するのですが、最終的には教員の協力もあって、落ちこぼれだった生徒全員が一定の成績をとり、試合に出場できるようになるという話でした。
私も運動部、文化部を問わず、顧問は外部から招へいした方が良いと思います。その上で、いわゆる○○バカにならないような指導をする必要があると思っています。
http://www.asahi.com/koshien/news/TKY201301170335.html
閉鎖的な高校球界にも外部からの招聘顧問が一般的な時代が到来する?
って、調べてみたら取手ニ高時代の木内幸男監督は用務員、宇部商の玉国光男監督はサラリーマン、宇和島東高時代の上甲正典監督は薬局経営と、教師兼任でない高校球界の名将が大勢いました(^_^;)
ただ、米国でも大学スポーツ(特にバスケやアメフト)は、勉強できない筋肉バカの学生がスポーツだけで入学し、勉強そっちのけでスポーツばかりやっていたりしますがね(インテリなスポーツマン大学生もいることはいますが)。中には大学生の癖に字がまともに読めない学生が相当数いると言われてるし。
日本で学校体育・学校部活が殆ど関与せず、学校外で子供が鍛える仕組みが主流のメジャースポーツというのは、私が思いつくのはジュニアゴルフスクールのゴルフくらいです(そもそも大学前にゴルフ部がある学校を探す方が難しいが)。他は・・・。日本の水泳は学校体育・学校部活は一応あるが、トップクラス選手になると学校水泳部畑は殆どおらずスイミングスクール畑ばかりとか。日本のサッカーはJリーグの各クラブ傘下のユースチームがあるといえど、社会的には学校体育・学校部活の影響力はまだまだ強いかな。
見直していいのではないでしょうか。
全試合全国放送する必要はないと思います。
高校野球はテレビ、ラジオを使って学校の宣伝を行う商業利用の側面も否定できません。
>大学にいくよりよほどましじゃないでしょうか。
清谷さん御自身が東海大学工学部に進学されている事を踏まえて教育論を語っていただけませんか?
もし高校時代に運動部に入っておられなかったとしたら、運動部に入ってFランクにしか入れなかった人を笑えないと思いますが、もしかしたら運動部に入るという非合理的な選択をしなかったから、東海大学工学部には何とか入れたという論を展開されるのでしょうか?
野球で進学し、身を立てる方法もありますが、それはきわめてレアなケースです。
基本的に学校は勉学にいくところ、広く言えば知的好奇心を満たすところです。勉強したくない、運動だけしたいのであれば体を動かす仕事をした方が宜しいでしょう。それだけです。
実際問題としてあなたの友人が野球部で、あなたは野球を頑張れ、後のことはなんとかなると激ましたとしましょう。結果彼は勉強もせず底辺の大学にでて、就職も無く10数年もフリーターのままだったとします。あなたは彼にアドバイスしたことを後悔しないでしょうか。そういうことです。
>実際問題としてあなたの友人が野球部で、あなたは野球を頑張れ、後のことはなんとかなると激ましたとしましょう。
#横で済みませんが。。。
これが問題だというなら、それは「部活」の存在が問題なのではなく、「勉学との両立を図らない、極一部の部活」が問題だ、ということだと思います。
私は部活出身ですが、当然、勉学をさぼっていいとは一言も言われなかったし、テスト前は休みでしたから。
「部活」廃止には反対ですが、「勉学そっちのけの異常な "部活"」を弁護する気はこれっぽっちもない、ドナルドでした。
横から失礼しました。
ですが、だからといって軍隊的な運動部が許されるわけでも、教師が疲弊しているにもかかわらず、部活の顧問を押し付けることは許されないでしょう。
指が化膿して切断しなければならないときに、切断をためらって命を落とすのは愚かだ、といっているだけです。
学校の本分は勉学です。部活は刺身のツマです。
鮪の刺身で、ツマを優先してツマだけだすとか、腐った刺し身をだすならば問題でしょう。要はどちらを取るかということです。
それに運動部で土日やるな、といっても誰も聞かないでしょう。だったらいっその事、部活なんぞやめてしまえ、ということです。
いわゆる「体育会系気質」といったものがどうしてできるかを考えてみました。学校は「上級生>下級生」といった序列がありますが、スポーツ等では例えば「1年生の実力が3年生のそれを上回る」といった事は十分あり得ます。勉学で「上級生を上回る」ような学生はよりランクの高い学校に行くでしょう。そういった状況で「上級生>下級生」といった序列を維持しようとして、単なる先輩・後輩の範疇を超えた服従を強いる「体育会系気質」が生まれたものと思われます。学校以外でも共同体(ムラ)気質の強い場所ではしばしば見られます。ですからレクリエーションや体験を超えてスポーツをするのであれば部活ではなくクラブで行い、クラブでは「能力と実績」で序列を作れば良いと思います。集団として結果を出そうとすればどうしても実力本位になりますので、まだそこまで成長できていないのであれば、部活でレクリエーションの範囲でやれば良いと思います。
高校のときにやってたバドミントン部で、普通に練習にも出てたしそこそこ真面目にやってたのに、同学年のリーダー格に理由も無く「お前辞めてくんない?」と言われ続けて頭に来て辞めた事があったからなぁ・・
教師の負担もさることながら、できる側の生徒の差別意識や特権意識を生む土壌がある今の運動部のあり方は是正されて然るべきでしょう。(今をときめくメジャーリーガー・ダルビッシュが東北高校時代にかなり甘やかされてやりたい放題だったのは有名な話です)
他の記事では批判的なコメントを致しましたが、こちらは大変興味深く拝読しました。
以前に読んだ大学教員のコラムで、「部活の顧問になりたいから教師を目指すという学生は多い。他方、学問を教えたいから教師になりたいという学生は稀少である。」という趣旨の文章があったことを思い出します。
ところが、このよう教師像が本末転倒であると認識されることはほとんどない。それどころか、前掲コラムによれば、部活志向の学生は教育委員会等の教員採用側にも得てして受けが良いとの事です。
教育再生を謳う現内閣は、かかる教育の現状を問題とすべきように思いますが、そのような声が挙がる気配が見られず、歯がゆい思いです。