体罰は是か非か
最近体罰を巡る議論が起こっています。
基本的にぼくは体罰を否定しません。
ですが、その運用には厳格なルールがあるべきです。
子供は口で言っても聞かない場合があります。そのような場合、肉体的な痛みを与えることでしか
できない教訓もあります。
ある意味、子供は未成熟で動物ですから「肉体言語」が必要なこともあるでしょう。
それが必要ないお子さんもいるでしょうが、ぼくはそれほどできが良くなかったので、自分自身を省みても体罰は必要だと思います。
ですが、親や教師に無制限にこれを認めるべきではありません。得てして「最後の手段」である体罰を、自分の言葉や説得能力が無いことにいらついたり、かっとなって振るう親や教師が多いからです。
そのような体罰は単なる暴力・暴行であり犯罪です。
未熟な親や教師が自分の無能を棚に上げて安直に体罰に頼るべきではありません。また体罰も一定のルールを作るべきです。教育基本法で体罰を禁じているのは問題です。必要なのに禁じているから
高校生や大学生以上に体罰は必要ないでしょう。彼らは十分にオトナです。
また上級生による体罰は禁止すべきです。得てして上級生による体罰はリンチになりやすいものです。我が国の運動部は帝国陸海軍の悪しき伝統を引き継ぎ体罰、イジメを是としてきました。
暴力による服従は硬直し、単純な人間を量産します。得てして彼らは思考に柔軟性を欠き、権威主義、精神主義に陥ります。また柔軟性がないために精神が硬直しており、前例のないような自体への対応力を欠きます。
ぼくが小学生5年生時、玉造泊というトンデモ教師がやたらに暴力を振るいました。児童の頬をサンダルで殴る、はさみの柄で手を殴る。一級上の女の子はこの教師のせいで、ノイローゼになり転校を余儀なくされましたが、当時の上松小学校は転校の理由をクズ教師による苛めではなく、自己都合にしないと認めないとしたので彼女の両親は仕方なく自己都合という事で転校させました。
ぼくは卒業後も延々と教育委員会に訴え続けました。
ところがこのようなクズ教師が後に教頭にまで出世しています。どれだけ田舎の公立学校、教育委員会が腐っていたかという証左です。後に「弱者ための喧嘩術」でこの事実を公にしたら、待ちの役場と教育委員会は大騒ぎになり、玉造教頭は定年まであと二年を残して辞職しました。彼は後に病没したそうですが、未だに墓を暴いてやりたいぐらいです。
抵抗できない児童に対して、趣味的、あるいはレジャー感覚で暴力をクズ教師を排除するために、尋常ではない執念の持続と30年以上の歳月かかりました。普通の人間ならば諦めていたでしょう。
何しろぼくは恨みは忘れない蛇のようなたちで、何年かかってもはらす主義です。さすがにこの件は最長記録です。
ですからぼくは安易な体罰には反対です。それでも体罰は必要だと思います。
体罰はある意味警察官の拳銃のようなものです。使用にあたってあは厳しい制約を明文化すべきで、これを無視した場合には相応のペナルティを与えるべきです。
基本的にぼくは体罰を否定しません。
ですが、その運用には厳格なルールがあるべきです。
子供は口で言っても聞かない場合があります。そのような場合、肉体的な痛みを与えることでしか
できない教訓もあります。
ある意味、子供は未成熟で動物ですから「肉体言語」が必要なこともあるでしょう。
それが必要ないお子さんもいるでしょうが、ぼくはそれほどできが良くなかったので、自分自身を省みても体罰は必要だと思います。
ですが、親や教師に無制限にこれを認めるべきではありません。得てして「最後の手段」である体罰を、自分の言葉や説得能力が無いことにいらついたり、かっとなって振るう親や教師が多いからです。
そのような体罰は単なる暴力・暴行であり犯罪です。
未熟な親や教師が自分の無能を棚に上げて安直に体罰に頼るべきではありません。また体罰も一定のルールを作るべきです。教育基本法で体罰を禁じているのは問題です。必要なのに禁じているから
高校生や大学生以上に体罰は必要ないでしょう。彼らは十分にオトナです。
また上級生による体罰は禁止すべきです。得てして上級生による体罰はリンチになりやすいものです。我が国の運動部は帝国陸海軍の悪しき伝統を引き継ぎ体罰、イジメを是としてきました。
暴力による服従は硬直し、単純な人間を量産します。得てして彼らは思考に柔軟性を欠き、権威主義、精神主義に陥ります。また柔軟性がないために精神が硬直しており、前例のないような自体への対応力を欠きます。
ぼくが小学生5年生時、玉造泊というトンデモ教師がやたらに暴力を振るいました。児童の頬をサンダルで殴る、はさみの柄で手を殴る。一級上の女の子はこの教師のせいで、ノイローゼになり転校を余儀なくされましたが、当時の上松小学校は転校の理由をクズ教師による苛めではなく、自己都合にしないと認めないとしたので彼女の両親は仕方なく自己都合という事で転校させました。
ぼくは卒業後も延々と教育委員会に訴え続けました。
ところがこのようなクズ教師が後に教頭にまで出世しています。どれだけ田舎の公立学校、教育委員会が腐っていたかという証左です。後に「弱者ための喧嘩術」でこの事実を公にしたら、待ちの役場と教育委員会は大騒ぎになり、玉造教頭は定年まであと二年を残して辞職しました。彼は後に病没したそうですが、未だに墓を暴いてやりたいぐらいです。
抵抗できない児童に対して、趣味的、あるいはレジャー感覚で暴力をクズ教師を排除するために、尋常ではない執念の持続と30年以上の歳月かかりました。普通の人間ならば諦めていたでしょう。
何しろぼくは恨みは忘れない蛇のようなたちで、何年かかってもはらす主義です。さすがにこの件は最長記録です。
ですからぼくは安易な体罰には反対です。それでも体罰は必要だと思います。
体罰はある意味警察官の拳銃のようなものです。使用にあたってあは厳しい制約を明文化すべきで、これを無視した場合には相応のペナルティを与えるべきです。
この記事へのコメント
その一方で日本の体育会系は他国と比べても非常に質が悪い部分があります。相手に理解させ、言葉できちんと説明することすらできない人間が指導者をやっていることは少なくありません。そうした人間が安易な「精神論」指導で体罰をふるい、周囲も見て見ぬふりというならそうしたゲス野郎どもは即座にまとめて処分されるのが当然だと思います。
アメリカなどではプロスポーツ選手やコーチ、軍隊経験者から弁護士、医師、政治家、ビジネスマンなどが多く輩出していますが日本ではほぼ皆無と言っていいでしょう。そうした点からも日本の体育会系のレベルの低さがよくわかると思います。
Business Media 誠:窪田順生の時事日想:桜宮高校バスケ部キャプテンの自殺の原因は「体罰」ではない (1/4) http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1301/15/news022.html
読んでて背筋が寒くなりました。
山本七平氏の本で「収容所に収容されたイギリス人は自らの議会を作り、収容所に収容された日本人は暴力支配を行った」といった事を読んだ記憶があります。つまり日本人は制度といった「仕組み」では秩序は作れず、「直接的な人間関係」によってしか秩序を作れないという事ではないでしょうか。「直接的な人間関係」を「手っ取り早く支配する・思いどおりにする」手段が体罰(暴力)というわけで。桜宮高校で例のバスケ部顧問が「牢名主」化し、高校生がツイッターで(直接の面識が無い)橋下市長を差別表現で罵倒(+飲酒・喫煙といった違法行為を自ら公開)していた事がそれの現れでと思われます(炎上目的のなりすましかと思ったら居酒屋が弁解コメントを発表したので事実だったよう)。
清谷氏が言われている体罰は「制度・仕組みとして確立された体罰」であると思われますが、前述の理由でそれは作ったところで機能しないでしょう。
2004年の「弱者のための喧嘩術」が初出だったので、死してなお息の長い活躍をされてますね(笑)