スポーツ非国民、オリンピックに思う
ぼくは以前から書いているように、子供のころからオリンピックなどのスポーツイベントに殆ど興味がありませんでした。未だにそうです。
スポーツに関して愛国心が高揚することはありません。
昔日ノ丸のTシャツを作っていたことがあるのですが、それを見た東北新社の若い衆が、「やべー、右翼っぽい」とか言っておりました。この手の人たちって、アメリカ人が星条旗のTシャツを着たり、英国人がユニオンジャックのTシャツを着てもなんとも言わないのに不思議なことです。
で、この手の人たちがオリンピックでは「愛国心」を振り回すわけです。ぼくから見ると非常に不思議です。愛国心を発揮するならもっと建設的かつ知的なところで発揮すればいいのにと、つい思ってしまいます。
また、日頃あれだけ日ノ丸・君が代が嫌いな教員労組やプロ市民の方々におかれては、卒業式などではなく、このオリンピックの時こそ反日ノ丸、反君が代をアピールすべきだし、社会的な注目も集めると思うのですが。そうは思わないのでしょうか。
別にメダルを取らなくてもいいじゃありませんか。
好きでやっていて、結果として世界の頂点に立つのであれば、それは慶賀すべきすべきことでしょう。
ですが、国の威信や安っぽい愛国心を満たすために、あれだけの資源を使って目指すものでしょうか。
国威発揚が好きなのは、自国の歴史や国際的地位、経済力などにコンプレックスのある独裁国家や、自分がアメリカ人やイタリア人だなどと○○国民という事にしか精神的な拠り所がない下層階級、いわゆるプア・ホワイト的な連中やネオナチの類が多い国じゃないでしょうか。
こういう国では民を治めるために、パンとサーカスが必要です。オリンピックなんざその好例ではないでしょうか。
嘆かわしいことに我が国も前世紀の終わり頃から、そのような不幸な人たちが増えていているようです。
自分自身に誇るものがなく、社会からは認められず、唯一日本人であることをだけをレゾンデートルにしているのは、問題です。ネトウヨなんぞその手が類がウヨウヨいるわけです。
で、その愛国心の発露がネットで匿名で他人を誹謗中傷したり、こき下ろすことです。情けないにも程がある。同じ主張をするなば実名でブログをおこなえばまだ評価はします。
ところができません。実名を出して、自分のブログで主張を行うと反論が怖いのでしょう。
そんな愛国心なら持たないほうがマシです。
そんなことやっているよりも、仕事でもプライベートでも日本人として誇れるような努力をすべきです。ところが、その手のダメ日本人ほどプライドが異常に高いわけです。
自分のダメさを認めた上で、地道に実力をつけたり、努力をすることができません。ネットで他人を叩いているいると自分が偉くなった気になったりするのでしょうが、所詮は現実逃避です。
挙句が親のすねをかじってニート暮しをしていたりするわけです。
薄っぺらい愛国心を鼓舞し、現実逃避を続けた結果が前の戦争での大敗北です。
成熟した国家で、スポーツを振興する意味って無いんじゃないですか。
スポーツを振興して国民の健康を増進する、なんて未だに信じていたら頭がおかしいとすら思います。
基本的に、スポーツは体に悪いです。特に専門にやればやるほど体に悪いです。
実際アスリートは故障だらけでしょう。
マラソンで、舗装道路を長時間走って体に良いわけありません。
テニスにしてもゴルフにして片方の腕しか使わず、瞬間的に強いインパクトを与えます。これまた体に良いわけありません。
健康のためなら散歩と、柔軟体操程度でいいそうです。
突き詰めれば個人がスポーツをするのは面白いからでしょう。腰をおかしくしようが、捻挫しようが、肉離れをしようが、面白いからやっているのではないでしょうか。あるいは何らかの自己実現でしょう。
ぶっちゃけた話、生理が止まっても走り続ける女子マラソン選手と、肝臓壊しても酒飲みが酒を飲んだり、喫煙家が肺をおかしくしてもタバコを吸い続けるのと、ある意味同じです。
体を壊しても、命を削っても勝ちたいというのがアスリートではないでしょうか。
ぼくはそれを否定はしませんが、それは健康とは程遠い生き方です。
健康のためにゴルフをしているいうのは、いいわけでしょう。ですが、健康のためならゴルフよりも散歩や森林浴の方がよほど体には宜しいでしょう。
スポーツの弊害は社会的なコストがかかることです。まず医療費の増加です。スポーツで体を壊す人間が医者にいけば、当然医療費はかかります。そのコストの多くは言うまでもありませんが、医療保険で賄われています。また不慮の事故による死亡も多々あります。
ぼくはスポーツをする人間は医療保険料を上げるべきだと思います。
次に、箱物です。営利行為として自己完結しているプロスポーツは別ですが、国体やらスポーツ振興のために多くのスポーツ施設が建てられ、多額の費用をかけて維持されています。これまた出処は税金です。国体なんぞその典型例です。
これらの施設の運用には多大な電力が使用されています。その好例は夏の甲子園でしょう。わざわざ夏の暑い時、電力ピークの時にやらなくともいいと思いますが。
反原発運動家の人たちが夏の甲子園を中止にしろとか主張しないのでしょうか。
確かにスポーツはウエアや道具が売れたり、大きな大会があればTV中継だの、お金が動きます。仮にあるスポーツの愛好者が100万人いればウェアや道具は100万人分売れるわけです。ですが、先述のように競技場を作ったりなどの公的な負担も多いのも現実です。
サッカーなんて立派なスタジアムが無くても、原っぱがあれば出来るわけです。
プロ野球が大きなビジネスだからといって選手を輩出するために全国の学校に野球場を作り、道具を買うために莫大なコストを公的なセクターがかけるべきでしょうか。
また登山やマリンスポーツなどで遭難でもすれば、これまた公費をかけて捜索や救難が行われます。これまた社会全体がそのコストを負担しているといってよいでしょう。
つまりスポーツを振興するということは、健康を害するだけではなく、極めて高いコストを国民が広く負担しています。これらのコストが金色や銀色、銅色のメダルを取るためにかけるコストとして妥当でしょうか。
健康の維持のためならば散歩やヨガ、あとはちんたら同好会的なスポーツで十分なはずです。
どうしてもスポーツがやりたいならば自分のリスク(例えば健康保険料の増額なども含めて)、ポケットマネーだけでやるべきです。
健康の増進ならば、学校でスポーツ系の部活をやるよりも食事などの指導をきちんとするほうがよほど効果があるのではないでしょうか。
スポーツ振興が国民の健康と福祉の向上という主張を今一度検証し、何のためにスポーツを振興するのかよく考えるべきです。
スポーツに関して愛国心が高揚することはありません。
昔日ノ丸のTシャツを作っていたことがあるのですが、それを見た東北新社の若い衆が、「やべー、右翼っぽい」とか言っておりました。この手の人たちって、アメリカ人が星条旗のTシャツを着たり、英国人がユニオンジャックのTシャツを着てもなんとも言わないのに不思議なことです。
で、この手の人たちがオリンピックでは「愛国心」を振り回すわけです。ぼくから見ると非常に不思議です。愛国心を発揮するならもっと建設的かつ知的なところで発揮すればいいのにと、つい思ってしまいます。
また、日頃あれだけ日ノ丸・君が代が嫌いな教員労組やプロ市民の方々におかれては、卒業式などではなく、このオリンピックの時こそ反日ノ丸、反君が代をアピールすべきだし、社会的な注目も集めると思うのですが。そうは思わないのでしょうか。
別にメダルを取らなくてもいいじゃありませんか。
好きでやっていて、結果として世界の頂点に立つのであれば、それは慶賀すべきすべきことでしょう。
ですが、国の威信や安っぽい愛国心を満たすために、あれだけの資源を使って目指すものでしょうか。
国威発揚が好きなのは、自国の歴史や国際的地位、経済力などにコンプレックスのある独裁国家や、自分がアメリカ人やイタリア人だなどと○○国民という事にしか精神的な拠り所がない下層階級、いわゆるプア・ホワイト的な連中やネオナチの類が多い国じゃないでしょうか。
こういう国では民を治めるために、パンとサーカスが必要です。オリンピックなんざその好例ではないでしょうか。
嘆かわしいことに我が国も前世紀の終わり頃から、そのような不幸な人たちが増えていているようです。
自分自身に誇るものがなく、社会からは認められず、唯一日本人であることをだけをレゾンデートルにしているのは、問題です。ネトウヨなんぞその手が類がウヨウヨいるわけです。
で、その愛国心の発露がネットで匿名で他人を誹謗中傷したり、こき下ろすことです。情けないにも程がある。同じ主張をするなば実名でブログをおこなえばまだ評価はします。
ところができません。実名を出して、自分のブログで主張を行うと反論が怖いのでしょう。
そんな愛国心なら持たないほうがマシです。
そんなことやっているよりも、仕事でもプライベートでも日本人として誇れるような努力をすべきです。ところが、その手のダメ日本人ほどプライドが異常に高いわけです。
自分のダメさを認めた上で、地道に実力をつけたり、努力をすることができません。ネットで他人を叩いているいると自分が偉くなった気になったりするのでしょうが、所詮は現実逃避です。
挙句が親のすねをかじってニート暮しをしていたりするわけです。
薄っぺらい愛国心を鼓舞し、現実逃避を続けた結果が前の戦争での大敗北です。
成熟した国家で、スポーツを振興する意味って無いんじゃないですか。
スポーツを振興して国民の健康を増進する、なんて未だに信じていたら頭がおかしいとすら思います。
基本的に、スポーツは体に悪いです。特に専門にやればやるほど体に悪いです。
実際アスリートは故障だらけでしょう。
マラソンで、舗装道路を長時間走って体に良いわけありません。
テニスにしてもゴルフにして片方の腕しか使わず、瞬間的に強いインパクトを与えます。これまた体に良いわけありません。
健康のためなら散歩と、柔軟体操程度でいいそうです。
突き詰めれば個人がスポーツをするのは面白いからでしょう。腰をおかしくしようが、捻挫しようが、肉離れをしようが、面白いからやっているのではないでしょうか。あるいは何らかの自己実現でしょう。
ぶっちゃけた話、生理が止まっても走り続ける女子マラソン選手と、肝臓壊しても酒飲みが酒を飲んだり、喫煙家が肺をおかしくしてもタバコを吸い続けるのと、ある意味同じです。
体を壊しても、命を削っても勝ちたいというのがアスリートではないでしょうか。
ぼくはそれを否定はしませんが、それは健康とは程遠い生き方です。
健康のためにゴルフをしているいうのは、いいわけでしょう。ですが、健康のためならゴルフよりも散歩や森林浴の方がよほど体には宜しいでしょう。
スポーツの弊害は社会的なコストがかかることです。まず医療費の増加です。スポーツで体を壊す人間が医者にいけば、当然医療費はかかります。そのコストの多くは言うまでもありませんが、医療保険で賄われています。また不慮の事故による死亡も多々あります。
ぼくはスポーツをする人間は医療保険料を上げるべきだと思います。
次に、箱物です。営利行為として自己完結しているプロスポーツは別ですが、国体やらスポーツ振興のために多くのスポーツ施設が建てられ、多額の費用をかけて維持されています。これまた出処は税金です。国体なんぞその典型例です。
これらの施設の運用には多大な電力が使用されています。その好例は夏の甲子園でしょう。わざわざ夏の暑い時、電力ピークの時にやらなくともいいと思いますが。
反原発運動家の人たちが夏の甲子園を中止にしろとか主張しないのでしょうか。
確かにスポーツはウエアや道具が売れたり、大きな大会があればTV中継だの、お金が動きます。仮にあるスポーツの愛好者が100万人いればウェアや道具は100万人分売れるわけです。ですが、先述のように競技場を作ったりなどの公的な負担も多いのも現実です。
サッカーなんて立派なスタジアムが無くても、原っぱがあれば出来るわけです。
プロ野球が大きなビジネスだからといって選手を輩出するために全国の学校に野球場を作り、道具を買うために莫大なコストを公的なセクターがかけるべきでしょうか。
また登山やマリンスポーツなどで遭難でもすれば、これまた公費をかけて捜索や救難が行われます。これまた社会全体がそのコストを負担しているといってよいでしょう。
つまりスポーツを振興するということは、健康を害するだけではなく、極めて高いコストを国民が広く負担しています。これらのコストが金色や銀色、銅色のメダルを取るためにかけるコストとして妥当でしょうか。
健康の維持のためならば散歩やヨガ、あとはちんたら同好会的なスポーツで十分なはずです。
どうしてもスポーツがやりたいならば自分のリスク(例えば健康保険料の増額なども含めて)、ポケットマネーだけでやるべきです。
健康の増進ならば、学校でスポーツ系の部活をやるよりも食事などの指導をきちんとするほうがよほど効果があるのではないでしょうか。
スポーツ振興が国民の健康と福祉の向上という主張を今一度検証し、何のためにスポーツを振興するのかよく考えるべきです。
この記事へのコメント
私はサッカーを見るの好きですよ(少しだけやりもしますが)。しかし、別に国威の発揚ために応援している訳ではありません。地元のチームが勝てば嬉しい。これの発展版で、最大の「地元のチーム」がすなわちナショナルチームだ、というわけです。
さらに、これはスポーツ以外でも同じですが、鍛錬され研鑽された技術というものは、美しい。見ていて心が豊かになります。テキトーに作った「芸術作品」とか、その辺でやっている「草サッカー」とは、次元の異なる美しさです。「美しい」ことには価値があります。
このためなら、ある程度のお金をかけてよいと、私は思っています。もちろん現在のお金のかけ方を全て精査し、全てに納得している訳ではありませんが、他に多数ある世の不正義と比較して、大きな問題だとは思っておりません。
#つづく
文化・芸術・スポーツに、ある程度の価値を見出し、ある程度の投資をしない社会は、とても不健全です。それは国威発揚とか、国防とか、そんなレベルではなく、そもそも「この国を守るに値するもの足らしめる価値」そのものの一つだと思うからです。もっと大きく言えば、人類が人類らしくあるための価値だとすら思います。
清谷さんの記事、本も、ジャーナリズムと思うと社会を回すツールの一つですが、実際にそれを手にする人の多くは、趣味として、娯楽として読んでいるのではないでしょうか?私自身は、半分半分ですね。ちなみに私から見れば、オリンピックの(少なくともサッカーの試合の)価値は、あなたの本やブログよりも遥かに高いものです。
あなたの仕事を評価しない、と言っているのではありません(だったらそもそも忙しい中、読みに来ませんから(笑)。川重シリーズ、大変興味深く読ませていただいています)。単に、オリンピック(の少なくともサッカー+いくつかの競技)を、個人的に、極めて高く評価している、と言っているだけです。
#つづく2
まとめると、
>成熟した国家で、スポーツを振興する意味って無いんじゃないですか。
スポーツを振興しないのは、未熟な、全く余裕の無い国だけであり、成熟した国家でこれをしないのは極めて不健全と思います。(私の主観ですが)
>スポーツを振興して国民の健康を増進する、なんて未だに信じていたら頭がおかしいとすら思います。
はい、私もそう思います。国民の健康増進などという、「実用的」なことのために、オリンピックをやっているのではないと、私は思います。国民、というか、人類の「豊かさ」(主に心の)のために、やっているのです。
ブログでの個々のご意見は、別にそれほど的外れとは思いませんが、私の目からは、そもそもの前提が異なるように感じられます。つまり、スポーツは何かを達成するための「手段」ではなく、人として生きる上での「本能」、「目的」の一つなのだと思います。
例えば食事がおいしいかまずいかも、栄養さえあれば関係ないか?といえば、そうではない。人類に取って食事のおいしさは、「生きる目的」とも言える、至高の価値の一つであると、感じます。
うまい飯さえ食っていれば、幸せだ、と言っている訳ではありません(言っているのかも?:笑)。まずい飯しか無い世界には、生きたくないと言っているだけです。
ちなみに、オリンピックやスポーツに興味無いからTV見ない、とかいうご意見なら、それもそれで全然良いと思います。単に、私は見るし、かけているコストにも大きな反対は無い、というダケです。
そう言う人間もいますよ、ということで。。。
では。。
それと反日勢力の「国旗、国歌反対」は学校現場だけのことなんですかね。この辺もお願いします。
門外漢も納得する合理的な制度の整備や説明があるなら、不健康な高コストも甘受します。
たとえば、海外からスキーの観光客を呼ぶために、山岳遭難は欧州並みの負担にするなどです。
このような積み重ねの結果としてスポーツが振興され、日本がメダル争いに絡むなら支持します。
しかしながら、国民感情を担保にとるような振興策は反対です。感情を背景にした政策の結果など、もう思い出すのもうんざりです。
一概にいえませんが、振興策で役所の過剰干渉を受けた産業は、なぜか衰退する傾向があります。スポーツは例外でしょうか。
1)健康増進をスポーツ振興の大義名分にするな。
2)スポーツのやり過ぎは体に悪い。
3)スポーツを国威発揚に利用するな。
というところでしょう。例えばカナダや
オランダなど言語や民族が違って問題が起きている国やアメリカみたいな人造国家はスポーツによって国威発揚し、愛国心を煽ることは理にかなっているでしょう。
しかも、日本において一年のうちもっとも気候の厳しい時期・時間帯に何を好き好んで・・です。あらゆる意味でエネルギーの無駄遣い以外なにものでもないし。
これが「朝日新聞」「毎日新聞」というのは驚くべきことだと思いますが、どうなんでしょう?
何が「憲法九条を守れ」だよ、バカバカしい・・と思うのは私だけ?。
ハードな上下関係といえば、こんな事件もありました。
http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20120714-983093.html
青森山田喪章つけコールド発進/青森大会
「心は今も一緒」なんて美談仕立てになってますが、問題の部員の死亡は事故死でも自然死でもなく、上級生の暴行が原因で裁判で争ってる最中なんですけども。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120625/trl12062511510002-n1.htm
いや、野球そのものは大好きで、少年野球やってましたし、会社の野球部でも活動してましたし。まあ、可愛さ余って憎さ百倍的なところがあるかな?
柔道、テコンドー、空手、合気道は護身術又は逮捕術として、警察関係者、軍隊関係者、民間ガードマンに役に立つ部分はあります(まあ、空手と合気道はオリンピック競技ではないけど)。まあ、護身用の場合は同好会レベルに留まる例もありますが、治安関係者が逮捕用として身に着けておく必然性がある職業は(国家規模のチャンピョンシップの大会ではないにしろ)同好会レベルに留まらずに専門性が強くなるのではないでしょうか?
国家規模のチャンピョンシップの大会はなくてもいいと思うけど、そういった大会には参加せずに、職業上の逮捕術用に格闘技技術を学ぼうとしている人間までキヨタニさんは健康保険料増額する気なのでしょうか? そうであれば、私は反対です。
現代の国家間のスポーツ試合はある意味形を変えた戦争でもあります。
つまり国民の不満に対するガス抜きを目的とする、古くから有効とされた方法であるならば、そう目くじらを立てる必要はないような気がしますが・・・。w
私も各種競技に興味がないため、積極的にオリンピックを見ようとは思いません。
国際的な儀礼慣習として自国以外の対戦相手国の選手、
国旗、国歌などに敬意を払うことには、やぶさかではありませんが。
「不起立界のジャンヌダルク」さんとか、ロンドンの沿道で日の丸が振られているマラソン中継とかを見ると、旧日本軍の行進の幻でも見えてきて、泡吹いて倒れているんじゃないでしょうかね?
ただ武道は「実利があるから」別にしろとなると、では剣道はどうなるんだ、我が国には空手があるからテコンドウは除外する・しない、ボクシングは自衛用にはなるけども、逮捕術には適さないから適応するしないなどの個別な峻別で議論となるでしょう。
次のオリンピックをめぐっての招致合戦というワイロ攻勢。主催者はたまりませんな。
もうオリンピックの開催地はギリシヤに固定したら。私的には観戦なんかどうでもよくて結果を知らせるだけでいいと思うの。
北朝鮮が共通の敵という建前がありますが、韓国と北朝鮮、ロシア、中国の反日同盟が出来つつありそうで、日本として、どう対処すべきでしょうか?
民主党政権の第三国との癒着ぶりで、日本の将来が心配です。
自衛隊にクーデターして頂ければいいのでしょうが、その気概も見えません。
本当に頭が痛いこの頃です。
イギリスに亡命しょうか!
ただ、サッカーでお隣のバカ国選手が試合後にしでかしたことや毎回起きる金銭トラブルを見聞きしていると、五輪の在り方はもっと問われてもいいかと思いますね。