【住民エゴか】奇抜な家イヤ…楳図かずおさん宅の近隣住民、建築禁止の仮処分申
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070801/jkn070801012.htm
最近吉祥寺の整体にいっているのですが、その行き帰りによく楳図かずお氏をお見かけします。いつもあのトレードマークの紅白の縞模様のシャツをお召しです。
しかし、子供の頃読んだ「蛇女」は恐かったです。ホント。あれ絵柄でギャグマンガまで描くところが尚更恐ろしい。
さて、これは非常に難しい問題です。建築の美醜なんて主観ですから。
ただ氏の美的感覚が我々凡人とかけ離れていることは事実ですが。
が、ぼくの意見としては単なる住民エゴとしか思えません。
まず「近隣住民」といいますが、その地区の全員が反対しているのでしょうか。それともごく一部の住民が反対しているのでしょうか。恐らく後者ではないでしょうか。
景観に合わないといいますが、別に英国みたいに初めから高さはおろか、瓦の色まで規制されている(場所によりますが)わけではないわけです。我が国では。
また倉敷みたいに古い町並みを残そう、景観を維持しようという枠組みやコンセンサスすらないわけです。
となると、一部の住民の主観でマイノリティーを苛めていると言う構図になりませんか。
別の視点から見てみると、一戸建て特に注文住宅は本来建て主の思想や美観、センスが活かされて然るべきです。その観点からみれば氏のライフスタイルを体現した主張のある家のようです。
ところが普通の一戸建てはメーカーのいいなり、外見に対してこだわるわけでもない。ハッキリいえば個性の主張のない無難な家を建てた訳です。
反対している人達の主張を換言すると「我々は没個性で、家に反映させる個性など持ち合わせていません。個性のある奴は家を建てるな、自分たちの価値観にそぐわないものはすべて下品である」といっているわけです。
つまり、個性の強い人間はこの町に住むなといっているわけです。
まるでアメリカの田舎白人の自警団のようです。
吉祥寺じゃあ、周囲の人間のご意見を参考にしないと家も建てなれないほど息苦しい町なのでしょうか。
だいたい、井の頭公園の付近だった住宅地の中にレストランがあったり、ラブホがあったりしているじゃあありませんか。あれはいったい何なのでしょうか。
周囲の住人の方々の美的感覚、センスはそれ程とぎすまされているのでしょうか。
余程ご自分の自信がおありのようです。どこからその自信がくるのか知りたいものです。
また抽象的な美観ということになると「ヤクザの言いがかり」みたいなことが全部OKになります。例えばこの町並みにに軽自動車は似合わないとか、壁の色のセンスが悪いとか坪●●万円以下の安っぽい家は建てるなとか、それこそなんでもありになると思います。
むしろ一般的に考えて長年漫画家として活躍してきた氏の方が美的センスに優れているとの見方もできます。
こういう自分たちの狭い「常識」を他人に押しつける寛容性にない人達、数を頼んで他人の権利を圧殺しようという人達、「心の景観」がすさんでいるように思えますが。
最近吉祥寺の整体にいっているのですが、その行き帰りによく楳図かずお氏をお見かけします。いつもあのトレードマークの紅白の縞模様のシャツをお召しです。
しかし、子供の頃読んだ「蛇女」は恐かったです。ホント。あれ絵柄でギャグマンガまで描くところが尚更恐ろしい。
さて、これは非常に難しい問題です。建築の美醜なんて主観ですから。
ただ氏の美的感覚が我々凡人とかけ離れていることは事実ですが。
が、ぼくの意見としては単なる住民エゴとしか思えません。
まず「近隣住民」といいますが、その地区の全員が反対しているのでしょうか。それともごく一部の住民が反対しているのでしょうか。恐らく後者ではないでしょうか。
景観に合わないといいますが、別に英国みたいに初めから高さはおろか、瓦の色まで規制されている(場所によりますが)わけではないわけです。我が国では。
また倉敷みたいに古い町並みを残そう、景観を維持しようという枠組みやコンセンサスすらないわけです。
となると、一部の住民の主観でマイノリティーを苛めていると言う構図になりませんか。
別の視点から見てみると、一戸建て特に注文住宅は本来建て主の思想や美観、センスが活かされて然るべきです。その観点からみれば氏のライフスタイルを体現した主張のある家のようです。
ところが普通の一戸建てはメーカーのいいなり、外見に対してこだわるわけでもない。ハッキリいえば個性の主張のない無難な家を建てた訳です。
反対している人達の主張を換言すると「我々は没個性で、家に反映させる個性など持ち合わせていません。個性のある奴は家を建てるな、自分たちの価値観にそぐわないものはすべて下品である」といっているわけです。
つまり、個性の強い人間はこの町に住むなといっているわけです。
まるでアメリカの田舎白人の自警団のようです。
吉祥寺じゃあ、周囲の人間のご意見を参考にしないと家も建てなれないほど息苦しい町なのでしょうか。
だいたい、井の頭公園の付近だった住宅地の中にレストランがあったり、ラブホがあったりしているじゃあありませんか。あれはいったい何なのでしょうか。
周囲の住人の方々の美的感覚、センスはそれ程とぎすまされているのでしょうか。
余程ご自分の自信がおありのようです。どこからその自信がくるのか知りたいものです。
また抽象的な美観ということになると「ヤクザの言いがかり」みたいなことが全部OKになります。例えばこの町並みにに軽自動車は似合わないとか、壁の色のセンスが悪いとか坪●●万円以下の安っぽい家は建てるなとか、それこそなんでもありになると思います。
むしろ一般的に考えて長年漫画家として活躍してきた氏の方が美的センスに優れているとの見方もできます。
こういう自分たちの狭い「常識」を他人に押しつける寛容性にない人達、数を頼んで他人の権利を圧殺しようという人達、「心の景観」がすさんでいるように思えますが。
この記事へのコメント
ここ20年くらいですか、我侭が非常に大手を振るっているようですね。
「見苦しい」「カッコ満点中身零点」などの言葉を子供のころから知らないから、見苦しくなったりカッコばかりになったりするのではないでしょうか?
地域コミュニティを無視して好き勝手に周囲に「デザイン」を(主張あるいは)押し付けていいのか?という問題ですから。
建てる側も、今後数十年に渡って、周囲に自らのデザインを「(納得させる)耐えさせる」必要が生じます。
問題はいくつかあるのですが、現状でのこの手の最大の問題は、建築家が「周囲の調和」を全く考慮しないで「自分の作品を目立たせる」傾向が強すぎる事です。
これは建築デザインの雑誌を見るとよくわかります。周りが見えてない訳です。
ま、個人住宅を叩くぐらいなら、その前に、景観破壊の元凶たるラブホとパチンコ屋を全て叩き潰して欲しい所ですが。
そういえば、よく「日本は、近隣諸国の声を無視するな」とか「アジアの声聞け」とか言われますが、ここでいう「近隣諸国」「アジアの声」とは、中国、韓国限定です。
具体的な国名は書きませんが、日本に対して非公式に核武装を求めている某国も「近隣諸国」の一つであり、「アジアの声」なのですけどね。
ただ単に「No!]といいたいだけと違いますか?!「No!]と言ってりゃ、なんか賢くなったと思い込んでるんとちゃいまっか?百万遍No!といったところでアホは治りません。
特亜がNoと言った事は日本にとって非常に国益になること。よい指針になるじゃないですかww
毎日毎日です。反対の声が上がってもおかしくは無いと思う。
ただ反対している人数が、二世帯と聞いたような気がしますが、他の近隣の住民はどの様に思っているのでしょうか。
自分のうちの目の前にこのような縞模様の家が建つとしたら、やはり反対すると思うんですが・・・
京都市民も住民エゴが強いです。
元受刑者の更生施設に反対していますから。
更生施設を作らなければ、それこそ再犯が増えますよ。
この近隣住民は世間知らずでわがままで許容力のない子供って感じがしますね。
これがもし、ゴミだらけの腐敗臭漂う家だったり、これが原因で犯罪が増えるなど実害があるなら別でしょうけど。