国内で車が売れなくなったのは民度が上がった証拠

 国内で車売れない危機打開策 トヨタ本気でアイデア募集

 http://www.j-cast.com/2007/05/18007623.html

 国内のクルマが売れないという状態だそうです。

 ぼくが思うに、それは日本人の民度が上がったからではないでしょうか。

 かつてクルマはステータスシンボルでした。クルマに乗ると偉くなったような気が、あるいは自分が大きくなったような気になるという馬鹿者がすご~く、多かったような気がします。

 クルマがないと女を口説けない。クルマのない男とは付き合わないというバカ者もこれまた大勢おりました。「アッシー君」という女に運転手代わりにつかわれていた哀れな男が大勢おりました。

 ぼくが20代の頃は「ハイソカー」ブームなる恥ずかしいものが流行しました。いい若いもんが、トヨタのソアラとかデザインのあか抜けない貧乏くさい、しかもおっさんクサい国産「高級車」に争って乗っておりました。しかもみんな没個性で白いクルマに乗っておりました。
 ホントにハイソな人間がヤンキーや暴走族が乗るソアラなんかに乗るもんですか。ところが「ハイソカー」にステイタスを感じていたのですねえ、当時の若者は。

 現在ではクルマに過度のシンパシーやらステイタスを求める人が減ったのではないでしょうか。地方ではクルマが必需品ではあるでしょう。が、かつてのように「威張り」を求める人が減り「必需品」=単なる道具としてクルマを位置づける人が増えているのではないでしょうか。

 ある種クルマを持つことが社会人として必然といった、ある種強迫観念がこの国にはありました。クルマを持った人間が持ってない人間を馬鹿にする。だからクルマをもたないと肩身が狭い思いをするといった感じです。ある種宗教みたいなものです。お隣が買ったからピアノを買う、みたいなものです。

 同様にスキーに行かなきゃならない、とかテニスをしなけりゃならないとか、いろんな「宗教」がありました。毎年スキーの板やウエアを買い換えないと「いけない」それをやらないと恥ずかしい、映画「私をスキーにつれてって」が公開されたころ、猫も杓子もシーズン中は月に何度もスキーにいってました。それをやらないとダサイ、とレッテルを貼られたものです。
 あそこまでキチガイみたいに庶民が金をつかってたから、80年代になっても日本経済が発展したのかもしれませんが。

 もっとも21世紀になってもOLはブランド物のバッグという「宗教」にはまっておるのが多いですが。

 大体都市部ではクルマは必要ありません。公共交通機関でことが足ります。そのかならずしも必要ないものに、年間数十万円から数百万円の維持費(月賦やら保険やら車検やら駐車場やら)をつぎ込みは馬鹿らしいということに気がついたわけです。
 必要なときはタクシーに乗れば宜しい。多少タクシーを使ったところで、クルマの維持費に比べれば安いものです。

 そんな金があれば毎年海外旅行にいくとか、美味しい物を食べるとか、習い事をするとか、将来のために貯金するとか色々と別なお金の使い道があるわけです。
 それだけお金の使い方も画一的ではなくなってきたわけです。

 本当にクルマやスキーが好きな人はそれにお金をつぎ込みのは別にいいでしょう。が、ホントはたいして好きでもないのに集団催眠にかかって金を使うのは愚かです。

 まあ、今では昔みたいにデートして酒呑んで女を車で送るとかできなくなりました。酔わせて、ホテルに連れ込んでというのは常套手段ではありました。

 フランス料理を喰ってワインを飲んで、それでクルマで送って(或いは途中車内で押し倒す)、というのはもはやフィクションです。

 今思うと田中康夫センセイは当時、しらふでデートをしていたのでしょうか、それとも飲酒運転という「犯罪行為」をおこなっていたのでしょうか。大変気になるところです。
 「ワイン通」の彼がデートでペリエやらガスウォーターばかり飲んでいたとは思えないのですが・・・・

 
 まあそんなわけで、そりゃあ、クルマを買おうかという人間も減るでしょう。

 それに昔のように憑かれたように頻繁に新しいクルマに乗り換えるという人間も減っておるでしょう。

 クルマを売りたけりゃ、近隣の民度の低い国に行けば宜しい。特定アジアでは当分クルマは売れ続けるでしょう。

この記事へのコメント

ソクラテス
2007年05月19日 00:34
 自分の興味のあるものをやればいいんでしょう。

 はやりのものに流されるというのは、一つの考えで分からないでもないが、自分にとって価値があるのかないのか、よーく考える人が少ないんでしょうね。

 車を買わなくなったのはそれだけ、日本国民が以前に比べて将来に不満をもっていて、お金を消費しなくなっただけです。

 やっぱり年金とか、ワーキングプアとか、教育費、住宅ローンで各世代ががんじがらめになって、さらにデフレで賃金も上がらず、企業も買収にさらされるこが怖いから従業員の給料をあげたくても、あげれず、そのお金を設備投資にまわしたり。
石友
2007年05月19日 01:55
ただ単に「車の寿命が延びたから」とかじゃないんですかね。
よく分かりませんが。
test
2007年05月19日 09:01
車がステータスではなく、田舎でも軽トラを下駄代わりに各自が使う時代には、大型セダン(レクサス等)が極端に販売不振である。地球環境の維持/保全、温暖化防止の観点から、ママチャリになるべく乗るべし!自動車産業が自動車にしがみ付いているようじゃぁ、未来には米国ビッグ3と同じ運命になる。 自動車
産業に、傾斜しすぎている産業構造を今から是正しないと、問題だと思う。
くるま
2007年05月19日 09:12
ガソリンや高速代が高いとか駐車場確保や保険を含めた車にかかるメンテナンス等の費用が一頃に比べ嵩む感が強くなっている。
手軽にマイカーを使用することにリスクが多過ぎる。
便利より不便のイメージが勝つ。
その一方、もてる者は2台、3台と所有している。

車だけがステータスに持ち上げられる物差しが物を言わなくなったと同時に生活格差の幅が増強されたと見る。

品質の多方面での劣化低下も否めない。
リコールが増えているのは中国でも部品生産に頼る比率に比例している。
通りすがり
2007年05月19日 09:57
うーん、ちょっと拡大解釈しすぎのような気がする…。
もちろんそういう面もあると思いますけど、携帯電話への出費とか、ガス代・駐車場代が高いことなどの方が大きいと思います。
シロ
2007年05月19日 11:28
地方では、車を多用するので肥満が激増しているとか。
電気屋
2007年05月19日 21:48
お久しぶりです。
単純に車がほしい人に行き渡っただけではないでしょうか?
http://www9.plala.or.jp/hiyotrio/newpage026.htm
こちらのサイトを見る限りバス、トラックはかなり早い段階で保有台数が頭打ちになっています。乗用車でも同じことが起こりつつあるのではないでしょうか。
ラプ
2007年05月19日 23:26
そもそも21世紀にもなって、まだ自分で運転しなきゃならないってのはどうなんでしょうか?

トヨタのIMTSみたいなのが公道を走行できるようになれば良いんですがね。
2007年05月20日 00:52
色々な理由がありますが、消費が横並びではなくなってきた、女の股を開かせる道具としての神通力がなくなってきた。
つまりはステイタスシンボルではなくなってきたことが大きいのでしょう。
陸奥のABE
2007年05月20日 08:44
初めまして、地方は、景気が回復しないので軽自動車や、10年乗れるトヨタ車を買うようになっています。
へろ
2007年05月20日 22:35
都市部では車を買わないという選択肢を取ってしまえば、
結構懐がよくなりますね。
私も免許は持っていますが、車は持っていません。
2007年05月22日 23:26
昔周りの農家の息子連中は高校を出ると親にクルマを買ってもらってブイブイいわせてましたが、今や昔、ですかね。

ぼくも免許は単なる身分証明書に使ってます。四半世紀も運転していないと恐くて今更運転できません。
2007年07月30日 16:17
>国内で車が売れなくなったのは民度が上がった証拠

よくそんなとこに気づきますね。さすがはプロだ!と唸るとこです。

前回帰国時に”渋滞はそこそこ増えた”ので、「仕事量は増えたのだろう、」が、新車が自家用商用ともにあまり見ないので「儲かる仕事は無いな」と思いました。私の限界がそこまでw
大体知っている場所での景気の判断は車の量と質で判断しても、まぁ、外れてないくらいです。
民度というか、初めて行った地域の人間の判断は、犬と広告や看板などの手書きの絵、時間があれば車を運転してみれば、本当の性格がある程度把握できます。
日本の犬は温厚で素直だし、風呂屋の壁画だって映画館の広告の絵だって芸術レベル、パースは正確、三角法(でしたっけ?)もゆがんでいない。子供の絵でさえ、同様。
運転をしていても他の車の運転を信用できる。(タイについてはコメントを控えさせていただきます。)

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