国歌国旗問題は実は「宗教」問題

 さて、東京地裁で国歌国旗の「日の丸はかつての軍国主義のイメージもあるので、押しつけはまかりならん」などという判決が出て議論を呼んでおります。

 この問題は実は国歌国旗問題でありません。一部の偏狭な教職員団体が信じるイデオロギーなる「宗教」を巡った問題です。何しろ相手はある種の狂信的な一神教の「信者」ですからまともな道理は通りません。

 自分の宗教の世界観、価値観が世界で唯一正しく、それを信じないものは邪教徒であり、自分たちが正しい方向に導いてやらなくてはない。ないしは撃滅の対象である。そのように信じておるわけです。まあ言うなればオウム真理教みたいなもんです。

 何しろ彼らには寛容の精神がありませんから、あなたは仏教徒ですか、ではわたしとは違いますねえという挨拶が成り立たない人たちです。

 しかも自分たちは絶対善ですから、違法ストライキ=犯罪行為を行なおうが、教育基本法が禁じている特定の思想、即ち彼らの宗教の布教を授業中に行うことになんの疑問も抱かないわけです。

 不幸にも少年期にこのような宗教の影響を受けてマインド・コントロールにかかってしまったのが斎藤貴男氏のような一部のリベラルと称する人たちでしょう。

 はっきり言ってこの手の人たちと人語によって理解し合う、あるいは妥協点を探るということは、マインドコントロールを解かない限り、不可能です。こういう人間を公務員、特に子供たちに影響を与える教師として働かせるのは社会的に大きなマイナスです。

 むろん我が国では「信教の自由」が保証されています。ですが、それは他人に迷惑をかけないというのが前提です。

 上司や雇用主に逆らい、仕事中に自分の宗教の布教を行うようなことは許されるはずもありません。


 ですから、違法行為を行ったり、公然とルールに逆らう、あるいはそれらの行為を支持する人間「狂信者」ないしは「殉教者」には公務員を辞めて貰うしかないでしょう。
 自分たちで私塾を開くなりなんなりして、宗教を続ければ良いのです。

 公立校では生徒たち「お客様」は教師を選べないのですから。

 彼らは一種の公害でもあります。子供には「公害」遭わない権利があるはすです。



 これらに該当する公務員には特別な名称、例えば「特定公務員」とか呼んで一般の公務員と異なる存在である、と世論が認識するような世論つくりが必要かと思います。

 また、このような議論は思想の自由とか高尚なものではなく、単に公務員の倫理の問題として議論すべきです。まともに議論が盛り上れば盛り上がるほど彼らは喜ぶのですから、事務的に彼らの行為の問題点を指摘、検討、処分していくべきす。


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この記事へのコメント

万能なモグラ
2006年09月25日 02:11
はじめまして。おっしゃる通りまともに議論する以前の問題ですね。彼らは、自由の意味を完全に履き違えています。正に、戦後の間違った民主主義が生み出した腫瘍と言えるでしょう。それに、この判決を出した判事も、相当に怪しいものです。元青法協の連中ではないかと疑いたくなります。日本人が、戦後の怠惰からようやく目を覚まそうとしている時に、時計の針を逆に戻すそうとする輩が、教育界や法曹界に野放しになっている現状を非常に危惧します。
guest
2006年09月25日 10:01

越境越後屋経済学上(ボーダレス経済ね)の国際労務課から見れば「幕藩命」主義の教育も、幕藩旗掲揚も、幕藩歌斉唱も困るのだ。
時代は「一蓮托生の地球村」化でなければいけない。 今後は、島歌くらいで止めよ!

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