フリーライターってどうよ?
雑誌なんぞをみていると「フリーライター」なる職業を目にします。恐らくは「フリーランスのライター」を縮めたんでしょうが、ぼくはこの名前は嫌です。
ぼくは 「フリーライター」といわれると、必ずフリーランスです、と訂正します。それほど目くじら立てる必要ないじゃないか、と言われそうですが、フリーというのは自由と言う意味だけでなく、タダという意味もありますから。
最近街角においてある無料の雑誌、アレもフリーペーパーとよばれております。つまり「フリーライター」とよばれると、「タダで仕事をしている物書き」というイメージがあって宜しくない。
特にフリーランスの地位が異様に低い我が国ではこのフリーライターなる呼称は望ましくない。
であるから、安易に「フリーライター」なる言葉は使って欲しくないんです。特にライター本人には。なんか「百円ライター」より安そうな感じがしませんか?
ぼくは 「フリーライター」といわれると、必ずフリーランスです、と訂正します。それほど目くじら立てる必要ないじゃないか、と言われそうですが、フリーというのは自由と言う意味だけでなく、タダという意味もありますから。
最近街角においてある無料の雑誌、アレもフリーペーパーとよばれております。つまり「フリーライター」とよばれると、「タダで仕事をしている物書き」というイメージがあって宜しくない。
特にフリーランスの地位が異様に低い我が国ではこのフリーライターなる呼称は望ましくない。
であるから、安易に「フリーライター」なる言葉は使って欲しくないんです。特にライター本人には。なんか「百円ライター」より安そうな感じがしませんか?
この記事へのコメント
フリーランスの物書きは嫌な出版社、嫌な媒体とは仕事をしない、という自由はあります。
ですが、商業出版においては完全に著者の自由はありません。出版社側に編集権があるからです。編集権を無視するのであれば「傭兵」失格です。
また、フリーランス売れるモノを書く、少なくともその努力を行うという義務を負っております。全く売れないモノばかり書いていればお座敷はかからなくなります。
まったく自由にやるなら同人誌か、自費出版、ないしはこのようなブログのようなかたちでしかありません。
こんな記事をみつけたのですが、日本では批判記事は書けないのでしょうか? よく欧米では扱き下ろしたりする記事は当たり前だみたいな言い方をしますが、日本の雑誌ではスポンサーを気にするあまり、提灯記事しか書けないのでしょうか?
あと、キヨタニさんのブログのネタ、「弱者のための喧嘩術」から切り売りしていますよね(笑)。
まあ、メディア側がそれに唯々諾々従っているのが我が国の現状でしょう。せめて新聞ぐらいは頑張れよ、と思いますが。
拙著ご購読ありがとうございます。セールスプロモーションの一環でございます。
そりゃ、悔しいですよ、相手は大人だし。
この件に関しては機会があるごとに触れていきたいと思います。