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zoom RSS オリンコンVS烏賀陽弘道  オリコンの訴訟は別な目的か

<<   作成日時 : 2006/12/21 22:00   >>

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 さて、昨日のJ-CASTに、烏賀陽弘道氏が「サイゾー」に掲載されたコメントをめぐってオリコンから訴訟を起こされた件に関しての記事が掲載されています。http://admin.j-cast.com/mt/mt-search.cgi?Template=JINBN_Japanese&IncludeBlogs=2&search=%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3

 この記事で注目すべきは以下のオリコンIR担当のコメントです。

「賠償金が欲しいというのではなく、これ以上の事実誤認の情報が流れないように(多額の賠償金を課すことで)抑制力を発揮させたい」

 つまり、損害が生じたからそれを補填するために訴訟を起こしたのではなく、自社に不利な情報が流されないように(懲罰的)な意味合いで訴訟を起こしたととれます。
 ところが我が国の民法では懲罰あるいは予防目的に訴訟をおこすことを認めておりません(請求権を認めてませんからね)。

 IR担当者氏の発言が正しければ、オリコンは法の精神をねじ曲げ、曲解して訴訟をおこしたことになります。

 これは極めて悪質な言論弾圧と言えます。正にジャーナリズムに対する挑戦です。

 また訴状によるとオリコンは朝日新聞社社員だった当時から烏賀陽氏の同社に対する記事には不満をもっていたようです。記者やライターに文責はありますが、新聞社や出版社にも編集権があり、掲載された記事内容に責任が生じます。

 先日も書きましたが、本来ならばオリコンは出版社の責任も問うべきです。それをやらないのは両者を分断し、弱い方に側に集中しこれを粉砕しようという戦術です。正に弱いものイジメです。

 果たして上場企業たるオリコンは株主からこの訴訟について尋ねられたとき、明確に自社の正当性を主張できるのでしょうか。また同社の取引先には「報道機関」が多数名を連ねております。これら取引先にウチは裁判を起こす際には媒体様は対象にしません、ライターだけです。と説明するのでしょうか。


 烏賀陽氏にもひとこと言いたいことがあります。

 氏は著書「朝日ともあろうものが」の中で自分はインタビューを行った場合相手にはゲラを見せないと書いております。
 
 インタビューアーとして絶対の自信がおありなんでしょうが、神ならぬ身ですから誤認や誤解をしないとはいいきれないでしょう。これは傲慢です。

 自分のインタビュー記事が原因でインタビューに応じた人物がそれこそ訴訟でも起こされた場合、責任はとれないでしょう。烏賀陽氏は今回の件を機にこのようなビヘイビアを顧みることをお勧めします。


オリンコンVS烏賀陽弘道 上場企業のビヘイビアとしてどうよ?
http://kiyotani.at.webry.info/200612/article_18.html


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インタビューアーとして絶対の自信がおありなんでしょうが、神ならぬ身ですから誤認や誤解をしないとはいいきれないでしょう。これは傲慢です



とのことですが、これは違うんじゃないかなぁと思います。僕は編集者なのですが、ゲラは絶対に見せません。見せてはいけないものなのです。

大前提として、編集権を認められている以上、新聞や雑誌は「自分たちが公平であると思う立場」に立たねばならないのです。責任としては大変に重いのですが、その自覚があれば、決してゲラを見せるような事はできません。
だって、取材対象者が言ったことを100%原稿にする訳じゃないですから。取材は「素材」であり、それを公平な立場(そんなものは厳密には存在しませんが、極力公平な立場に立とうとする努力)に立脚して論評することで、我々は精一杯の原稿を書きます。
もちろん、誤認や誤解のおそれがあるとしたら、絶対に再確認しないといけません。再確認を怠ったら、それこそ怠業なわけですが…。

波平
2007/02/11 23:58
先ほど謝って上記のコメントを消してしまいましたので、コピーして貼り付けました。ご了解ください。

 さて、ぼくは自分が誤りを犯す可能性がある限り、原則としてゲラをみせることにしています。ぼく自身過去に何度もインタビューで誤解されて書かれたことがあります。文脈云々の話ではなく、単なる事実誤認です。
日経の記者なんぞは重要なところは何度も繰り返したにも関わらずこれをあやまて書いていました。
 意図的に発言をねじ曲げて書かれたような悪質ケースも多々あります。
 また多くの人が書いているように新聞のコメントしたら全く180度違う趣旨の発言に改竄されていた、というケースは多々あります。
 
キヨタニ
2007/02/12 00:15
ですからぼくはインタビューされる側になた場合、基本的にゲラを要求します。

 誤りを直すためにことが編集権を侵害するとは思いません。
 先方の言をあー、とかうーとか言葉間までテープで起こした文章を掲載するならともかく、例えばAというパラグラフとBと言うパラグラフを纏めてひとつにしたりもするわけです。
 
 ただ、ここは丸めてよ、この発言はカットしてよとか、そういう注文には基本的には応じません。

 あなたが、フリーランスでやってらっしゃるか、会社に属しているかは知りませんが、編集に全責任があるというのであれば、編集者(特に編集長)が全責任を負うことになります。
 例えば今回の烏賀陽氏のように裁判になった場合、コメントをした人間にかわって編集部がすべての責任を負う、コメンテーターに一切迷惑をかけないような体制があるのでしょうか。
 
キヨタニ
2007/02/12 00:17
>謝って
誤ってです。失礼しました。
キヨタニ
2007/02/12 00:18
こんにちは。
ちょっと偉そうに書ちゃいました。すみません。その背景には、烏賀陽さんの立場を代弁したいという気持ちがあったような気がします。
さて、僕はフリーランサーではなく、社員編集者でした(先月退職したので、今は違いますが)。
自分が編集長をしていた雑誌では、ゲラは見せない、としていました。もちろんどうしても事実確認をしないといけない場合は、原稿のデータ部分をメールで送ったりしていました。部下が取材相手に「ゲラを見せてほしい」と言われた場合にも、「見せるな」と言っていましたが、それは自分が責任を取るからという意味合いを含んでいました。

つまり、データだけは確認してもらうけれど、自分に文責がある箇所は見せるわけにはいかない、というスタンスでした。これに関しては、きっと突っ込んで話してみたら清谷さんのスタンスと大幅に違うというものではなく、「どこで線を引くか」というレベルでの問題じゃないかとも思えます。
波平
2007/02/12 17:30
もちろん、自分が責任を取る事なんて絶対不可能な原稿もありますし、一概には言い切れないことは確かです。実際には、苦渋の選択の末にゲラを送って、「直せ」「ここは直せません」というやりとりを何時間もしたあげくに終電に乗れなかったこともあります。作家さんのインタビューや対談なら、迷いなく本人に校正してもらいます(文責が自分にあるわけではないので、当然に責任の発生する人に見てもらうという理由で)。

あぁ、また偉そうな書き方になっちゃったなぁと思いつつ。
つまり、最低限見せなければいけない原稿があるとして、僕は「原則ゲラは見せない」という地点に立ってそこに線引きをして、清谷さんは、「ゲラは見せてもいいが、直せないものは直せない」という地点に立って線引きをしている。そして、引かれた線自体は、割合近いところにあるのかも知れない。そんな感じがします。
そんなわけないよ、と言うことだったらすみません。

で、烏賀陽さんくらいジャーナリスト魂のある人だと「ゲラは絶対見せない」くらいの地点に立って、相当な覚悟をもって線引きをするのではないかと思います。
波平
2007/02/12 17:31
↑なんていう言い方だと、清谷さんに覚悟がないと言ってるかのようにも聞こえますが、絶対にそんなことはありませんので。
波平
2007/02/12 17:32
 ぼくも以前防衛庁の広報と夜の二時三時までやりとりをしたことがあります。そのときも事実誤認以外は受け入れませんでした。
 
おっしゃることはよくわかります。また、ゲラを見せる前提にだと相手の立場を忖度するという可能性が強くなるのも事実でしょう。
 ケースよってはぼくもゲラを見せないこともあります。

 ただ、自分がインタビューされる立場になったときに、初めてライター、あるいは編集者を頭から信用できるかといえば出来ないわけです。それは理解力が足りなかったり、先入観をもっていたり、あるいは故意に主張をねじ曲げる輩だっているわけです。
 ですから相手の立場にたった場合を考えれば原則、ぼくはゲラを見せるわけです。

 それからはじめから「ゲラを見せません」と、宣言すると、相手が警戒してあたりさわりのない優等生的発言しかしなくことも多々あります。
 ですからぼくはむしろ、思いっきり発言してもらって、あとで調整する場合もあります。そこで折り合いをつけることは妥協だとは思っていません。人間が相手ですからゼロか1か、というのはあり得ないと思います。

 
 

 

キヨタニ
2007/02/13 14:48
名乗りもしない相手に、丁寧な返信をいただくと恐縮してしまいますね。清谷さんという人物に、すごく興味がわいてくると同時に、ネットもいいものだなと思いました。ありがとうございます。
さて、この問題は「現場の状況」「ジャーナリズムの建前」などなどいろんな問題が絡んできて、大変難しく、深入りすると果てしなくなってしまいそうではあります。
ただ、一方の立場として、ユージン・スミスが語った以下のようなポジションがあると思います。
「取材とは生命を賭けて行うものだ。ジャーナリストならその覚悟があるはずだが」
ちょっと文言は違うかも知れませんが、吉田ルイ子さんの著書にそのように書かれていた記憶があります。
つまり生命を賭けて取材している以上ゲラを見せることも潔しとしない立場があり(ぼく自身はそこまで断言できませんが)、一方では清谷さんがいうようにインタビュイーを慮る立場もあり……。
いずれが正しいと断言するのは難しいかも知れません。

いつかご挨拶するチャンスがあることを期待しつつ…。
波平
2007/02/14 23:20
 ぼくは基本的に人間は誤りを犯す存在である、という原則に立って仕事をしています。また同じ言葉をつかっていても相手と自分が同じ定義とは限らない、即ち、言葉による完全な意識疎通は不可能であるという前提にたっています。
 
 しかも自分が腹を切ったからといって相手の損失や損害が回復されるわけもなし、とも思います。
 
 しかしながら、相手が悪事をしている、または不正や不当な行為をしていることを追及する場合、相手にいちいちゲラをみせる必要はないとも思います。
 書く内容が相手にとってはなっから不利益になるようなテーマではゲラを見せることが正しいとは限らないでしょう。

 
キヨタニ
2007/02/25 23:04
ですからゲラを見せる見せないは相手の信用関係と信用するに値する人物かどうか、また書くことで相手に直接被害が発生しないかどうか、など色々な要素があると思います。

ぼくの場合、軍事関係が中心なのでニュースソースの秘匿には気を遣います。特に自分を信用してくれて話をしてくれた人間に迷惑をかけないよう務めています。 

 まあ、この問題に正解はないのでしょう。
 ジャーナリストや編集者の質や姿勢にもよるでしょうし。
キヨタニ
2007/02/25 23:05

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